このたび、株式会社ギフトに所属いたしました。

◎出演決定
演劇女子部『一枚のチケット〜ビートルズがやってくる!〜』
2017年11月27日(月)〜12月3日(日)
紀伊国屋サザンシアター TAKASHIMAYA
詳細はこちら

平日チーム
『リブ・リブ・リブ』(出演)
作・演出 原将明
限定シャッフルキャスト公演
@下北沢CONA
12月6日(水) 9:00〜
ご予約はこちら

日曜チーム
『いつものいつか』(脚本)
作 福永マリカ/演出 原将明
@下北沢CAFE VIZZ
12月3日(日)27日(土)30日(土)
9:00〜
ご予約はこちら

朝劇下北沢プロデュース
『夜に生きて、』(出演)
作・演出 松澤くれは
@CAFE VIZZ
12月9日(土)10日(日)16日(土)
9:00〜
完売いたしました。

◉日本劇作家協会主催リーディングフェスタ
『食べるを読む』
12月16日(土)
@座・高円寺
詳細はこちら

◉ミュージックビデオ

KANA-BOON『バトンロード』
ご視聴はこちら

シンクロリウム『ロングスリーパー』
ご視聴はこちら

◉映画
『漫画誕生』
2018年夏公開予定

◆エンターテインメント深堀トークバラエティー


2017年8月31日

ラバーラバー

8月31日が夏の終わりなのか?!
キンモクセイからが秋だろ!
と、図師光博兄さんがさけんでました。

朝劇下北沢平日
「下北LOVER」千秋楽をむかえました。

たくさんのご来店、本当にありがとうございました。

何よりも真っ先にお伝えしたいのは、
平日9時という時間に
スケジュールを合わせてお越しいただいたこと

心から感謝しております。

みてくださる方がいなければ続けられないのだと
ロングランを通して実感する日々です。

たのしむからだをつれて、お越しくださったこと
ほんとうにうれしかったです。

きょうわたしは、
自分が朝劇のファンからはじまり、ここにいることを少し忘れていて

千秋楽のご挨拶の中で思いだし手に取り

ようここまできたなあ、と、感慨に浸っておりました。

2014年5月、朝劇下北沢の始まったその日を目撃し

2015年初め、朝劇代官山に出演し

2015年の末、日曜日チームへの脚本を書くことから、朝劇下北沢を作る側になり

2016年2月、この平日チームで、レギュラー出演者となりました。

やっぱりわたしは今でも、
お客さんのように朝劇下北沢がだいすきで

いつでもおすすめしたいし、みにいきたい。

でも今はそれ以上に、一緒に作る仲間が好きで、みんなを見ているのが好き。

こんな風に飾らず、好きだ好きだと言えるこの場所が、好き。

平日チームのみんなと噛みしめるように、最後の「下北LOVER」を上演しながら

わたし、この人たちのこと大好きだな
心から思いました。

本当に信じあえて、どんなパスでも投げ合えて、受け止めあえて

こんなチームは、なかなか作れないぞ、と、我ながら思います。

そんなチームのなかで、定期的に、長いことキャッチボールができるから

外へ試合に出てもホームランを打つ気概が湧きます。

そして、いつも心からのおもてなしをしてくださったCONAさん。

毎回ちがった朝食
千秋楽のすこしまえからはデザートも

さりげなく、でもひょっとするとわたしたち以上にこの時間をおもって

朝劇の空間をつくってくださったこと

改めて気がつき、胸がぎゅっとなりました。

愛ある人に出会えて、しあわせにおもいます。

CONAさんに恩返しできるよう
またあらたな朝を築きたいです。

本当に、大切な場所みたいです。

この作品は幕を閉じましたが

たしかにつちかわれたものたちが
これからのわたしを支えてくれている実感のほうが強く

ただただ心強いおもいです。

たくさんの大丈夫を、ありがとう。

ありがとう。

これからもどうぞ、よろしくお願いします。

2017年8月30日

いのりのかずだけ



いつの間にかこんな駄文を並べている場合ではなくなっていて
それなりにやることがある。

やることがないとおもっているときだって見ていないだけで、
やることなんていくらでもあるので

ただ見えるようになったのだと思う。

瞬間に過ごし、瞬間に感じていると
それなりの速度で推移していく。

昨日何も見えていなかったかと思えば
今日は無数の何かが見える。

いつもそういう速度の中にいるので
明日の私のことは私もわからない。

そういう意味では、人生丸ごと忙しい。

いろんな人に会っていろんな話を聞いたけれど
みんな全然違う意見なのに
みんななるほどとおもった。

みんな自分の人生の中で、
見つめて生きているから当たり前のことで

ああ、昨日も同じこと言ってたな。

長いスパンでやりたいことがぼんやりうかびはじめて
今年の夏が終わりそう。

8月の前半は布団から出るのも大変な日々だったけど
今は遠くに行きたくて仕方なく

布団の中にいた時は、布団の中が全世界だったけど
半月で抜け出せるんならあの全世界もわるくない。

蓄える季節に向かっていくけれど
私はまた動き出しそう。

皮膚の下に動く脈や
土の下にうごめく命の
もぞもぞ、どくどくいうのが

すこしずつきこえてきた。

2017年8月29日

よこからみるせなか

友達の仕事しているの初めて見た。

わたしはこの仕事をしていて

10歳からしていて

いつもの間にか友達も、仕事というものをしていて

いろんなわけで、とても不思議な気持ちになった。

友達の働く姿はものすごくかっこよくてたくましくて

わたしは自分の年齢を認識した。

でもその友達は学生時代からずぅとかっこよくて
だから実はなにも変わってないし、わたしの年齢も彼女の年齢も関係なくて

ただわたしにとって彼女がかっこいいというだけのことだった。

それでもやっぱり、わたしは社会人4年目の年齢になっていて

多分4年目で、と曖昧なくらい社会においての年齢がわからなくなる。

毎日生きてるけれど

社会のどこに生きているのか、実感する時間は少なくて

時折こうして社会と照らし合わせると

ここなのか、とおどろく。

でもわたしはどこでも、ここにいて

それだけでじゅうぶんだって、わかってもいる。

友達がかっこよくて

わたしはちゃんとうれしかった。

みんなに自慢したいと思った。

それは彼女も、
社会の中に位置取っているのでなく

彼女として今日まで、今日も、
懸命にあるからだった。

こうふのほうふ

こうふのふうけい

















またきます。こうふ。

るつぼのつぼ

水分ひたひたになったところで
じゅーしーに本題です。


甲府にある、文化のるつぼ へちまさんにて
手塚悟監督作品 月イチ上映会

この日は、昨年公開になった長編作「EVERY DAY」へむかうまでの短編3作
「つるかめのように」「こぼれる」「WATER」について
監督とたっぷりおはなししました。

甲府のみなさま、そして東京からもお越しいただいた皆さま
本当にありがとうございました。

手塚監督とは、今年初めの鵺的トライアル
「フォトジェニック」の映像パートでご一緒し
昨年の大晦日を供に過ごした思い出があるのですが

実はまだまだ、お話ししたことがないことが山ほどあって

こうしてたっぷり時間を頂いて、
作品と手塚監督のこれまで、そしてこれからをたどることができ

また出会えたような思いでした。

手塚監督の作品は、風のようにやさしくあったり
水のカッターのように鋭くあったり
へどろのように渦巻いていたりして

そんな複雑なあじわいが、どこからきているのか
すこしのぞきこめた、うれしいひとときでした。

そして会場であるへちまさんも
オーナーさんも店員さんも、
ほんとうにすてきで、ついわたしはまえのめりに。


これはドリンクバーのへちまカップ。
ネットカフェみたいな感じで
フリースペースとして利用出来るのです。

「文化のるつぼ」ってとってもすてき。
ここにあつまって
ここから湧き出でて
そういう場所があるってこと

街とひとと文化の行き交う真ん中があるってこと

すごくいいなあとうっとり。

活力のあるひとの周りには
暖かな空気が流れて
街もあったまって
血の巡りが良くなって。


これはへちまのご近所さんのコーヒー店・寺崎コーヒーさん。
スペシャルティコーヒーのお店です。

この日のコーヒーはブラックカラントみたいにジューシーなコーヒーでした。
おいしい。

窓に切り取られた甲府のまちもおだやかで
いい呼吸のできる時間が流れています。

おいしい、とか、きもちいい、とか
まっすぐにみつめている場所が甲府にはたくさんあって

まっすぐにいていい場所がたくさんあって
わたしはすごくうれしくて。

好きなものを好きって言わずに死ぬのが
いちばんいやだな、と
前を向いて思いました。



みつをさんおすすめ
こばやし製菓のみたらしだんごは
さめてもやわらか、こうばしい。

みずから

ゆめとまぼろしの水信玄餅に
後ろ髪も、割と前髪も引かれつつ
みつをさん運転の車に乗り込みますと

巨峰とサンシャインマスカットのおでむかえ。

ほおと頭を抱えて、この悩ましい景色にたえます。

すなおにたべます、
まあああああおいしい。

くちのなかにあふれるいのち。

いろんなかわに包まれた
山梨のおいしい水たちが

すこしずつわたしのからだにしのびこみ
すこしずつわたしのからだにみずをあたえて

すこしずつわたしは生きかえり
すこしずつ、いや急速に
しあわせにみちてゆく、!

感動のあまり、ダイレクトになみだになりそうで
あぶないあぶない。

からだじゅうからごくごくきこえて
こういう音が聞こえるときを
わたしはすごく正しいと思う。

だってあきらかに聞こえるから。
なによりもあきらかに聞こえるから。

正しいとか、正義とか
そういうことじゃないって
どんどんおもうこのごろだけど

あえて使うならこういうとき
こうしてからだがこたえたとき

それを正しいと呼びたいな。


このきゅうりもめちゃくちゃに美味しかった…

あわい

どようびは、甲府へいってきました。

手塚悟監督の月イチ上映会のゲスト MCとして。

旅をご一緒したのは、手塚監督、女優の藤谷みきさん




そして、手塚監督のおとうさま・みつをさん。
甲府にて合流です。


なんと、「あれ」のために、行列に並んで待ってくださっていたらしい。
整理番号じゅうにばん。

おとずれたのは、金精軒。


おやおや、これは大盤振る舞い、きなこふるふる生信玄餅。
そう、ここは銘菓信玄餅の名店。
そしてあの整理券がかなえてくれるのは、
じゃーん、
いま、ここでしかたべられない
水信玄餅!

口に入れるとどうなると思いますか。

消えます。
ミスターマリックさんもびっくりの、消えます。

水と信玄餅の臨界点といいますか
ギリギリこの姿を保っている感じ。

ですからね、なんだか
幻を食べているような、夢を食べているような
そんな心地なんでございます。

宇宙で水を食べたらこんな風かな、とか
想像がふくらむ、ふくらむ。

そんなことしてるまに



はい、消えました。
これ、ほんとにじかんがたったら水になっちゃうらしくて

ほんとにここでしかたべられないんだそうです。

はあ、たべおわったら夢がさめたみたいな
恋が終わったみたいな

なんだろう、これ。
もののあわい。

2017年8月28日

ひびのび

はやい速度でながれているのは
景色のほうか、わたしのほうか。

この数日はめまぐるしいほどの景色の変化に
とりどりの人たちとの時間

消化する前に立ち現れて
すぐにあふれてなみだがでちゃう。

そんななか、携帯電話が故障して
それをいいことに一眼レフでたくさん写真を。





それぞれのものが、それぞれの機能、役目を果たすってとっても大事。
写真はカメラで撮ろう。

この日々のなかで、たくさんのとどめたい景色があって

その日のうちに言葉でピンをさしたかったけれど
間に合わなかったから写真にすこしゆだねた。

これからすこしずつ書き記そう。

寝不足とこの速度で、頭が熱くなりそうで
じぶんで、どーどー、しています。



2017年8月25日

すいすい

舞台も、文章も、みるのがたのしくて

今までで一番すっと入ってくる。

なんの抵抗もなく、すっと入ってくる。

なんだかそれは、すこしまえに
あらゆる食べ物がおいしく感じたのにそっくりで

吸い込みたくなるまで、出し尽くしたのかもしれないなあとおもう。

生まれたてみたいに、あらゆるものがしみる。

そんなの25にもなって厄介といえば厄介だけれど

まあ厄介でしかないのだけれど

わたしはものすごくありがたくおもっていて

ただただ水がおいしい。

なんでもない、いろんなことがあって

いろいろなピースがあつまって、思考が整理された。

毎日なんでもない奇跡みたいなことしかないので

そんななんでもない奇跡みたいなことにいちいちおどろくのはよして

そうだねえ、なんて咀嚼しながらすごそうとおもう。

関係ないけれど

人が思考を思考で触りながら話す時の目線って、いいよね。

2017年8月23日

はらのそこから


人生は短いのかもしれないけれど

おもったよりながい。

どちらもたしかにそうで、
どこから眺めるかでどちらにもおもえる。

おもったよりながくて、

おもったより暇つぶしのレパートリーがいるし

おもったより希望を探すので忙しいし

おもったより、が、たくさんいる。

だからいくらかのたたかいたくないものは
みのがしたっていいじゃない、とおもう。

いくらでもわきみちにそれたっていいじゃない、とおもう。

そのたたかいは、だれのため?ってこと

ちゃんとやめちゃって

ねそべっておしりかいて

近所の子どもの声聞いて

あ、なんだか、水彩絵の具を久々に触りたくなったな、とか無責任なことおもって

思いもしない明日に連れて行ってもらったほうが

おもった場所に、つくかもしれない。

朝劇下北沢の主宰、原将明さんの
ちょっと休みます、というブログに対する

いろんな人のコメントがすごくすてきだった。

だれでも、いつでも、どこでもいける

お金や時間は関係ない

行こうとおもったらいけるってことを知った最近

おもったよりながい人生のどこかで

どこにでもいったらいいじゃん。

いつもだれよりもやさしいはらまささん

だれよりも自分のために両手を広げる時間を

ぞんぶんに。ぞんぶんに。

2017年8月22日

あじあのあじ

過去と未来の谷間。

ここ。

過去と未来の掛け合わせ。

1秒前と1秒後の掛け合わせ。

ここ。

ここはここしかないから

それだけでかけがえのない。

進化も退化も

前も後ろもなく

ここしかないかんがえ、かんがいが

またとないことをおしえてくれる。

恩師とメイルを。

アジアのかぜをおすそわけしてくださって

おもわず「にぎにぎしい」ということばをかえしたら

「にぎにぎしい、ってひさびさに聞きました。まさにです」

という返信をもらって

そうそう、そうでしかないところに、

おもわずわきでることばのてきとうさがある。

結局いつも、

ことばに、ことばのまわりに、

みとこころをすくわれる。

あしもともすくわれるけれど

それでもまた、すくわれる。

うたをうたうようにことばをうたったり

だれかとむきあうようにことばをおいたり

いろんなときのことばがあって

いろんなかおのことばに

ときどきに、たすけられる。

いっしょうのたずな。とも。

ナッツのやさしさ


家で作るアイスコーヒー

ナッツの香りがして美味しい。

アイスコーヒーはビターすぎて炭みたいな味のするのが多いから

じぶんで淹れるのを信用しているところがあるな。

そういうのはすこし、ほっとするな。

さいきんほっとしたことはというと

・ひとの無意識の中に、昔から変わらない趣味趣向をかんじたとき

・八百屋で買い物をして、店主の女性と会話をしたとき
(たまご(10こで100えん!)を別の袋に入れてくれただけでうれしかった)

・古本屋で目的もなく本をあさっていたとき

・今週末は山梨に行くのだ!とおもいだしたとき

・朝劇下北沢のとき

・演劇をみるのが面白くてたまらなかったとき

・おなじものをみて、しらないだれかとおもわずほほえんだとき

・ひさびさに「サマージャム95」をきいたとき

・郵便配達のおじさんが、いつもとおなじおじさんだったとき

・たのしそうに熱唱するひとをみたとき

たくさんあったなあ。やったあ。

やさしいじかんをたくさんおもう。

そうするとまたここに、やさしいじかんがながれる。

こうして書いているじかんもまた、ほっとするじかん。

さ、もう一杯、アイスコーヒーをいれようか。

古本屋では、芥川龍之介集をかいました。

赤い箱入りが気に入って。

2017年8月21日

しんだいたたいだん

新代田駅前の景色は
もしかすると東京でいちばんすきな景色。

東京で空の広い場所はとてもすくなくて

住宅街にふいにあらわれる広い道とか
こうして抜ける空があると

ついつい足を止めて大きく息を吸う。

六月はこの線路沿いに、とりどりの紫陽花が咲く。

紫陽花はいちばんすきな花。

秋に枯れた紫陽花もすき。

すきだなあとおもってたこの景色は

すきだなあとおもってたアナログフィッシュの『No Rain (No Rainbow)』のMVにもうつっていて

『最近のぼくら』には新代田駅から下北沢駅までの電車内がうつってる。

はじめてアナログフィッシュのライブを観たのも新代田FEVERで

あれは去年のいつごろだったかな。

ものすごくいいライブで
水のなかを泳ぐみたいな時間だったのだけど

そのときわたしはものすごく関係のないことを考えていて

目の前で奏でるアナログフィッシュをまえに

あのひとにいえずにいることをくやんだり、ひらきなおったりをくりかえしていた。

いいライブほど、よけいなことを考えていることがおおくて

それはなんでなんだろう。
よくわかんない。

景色に溶け込むようにからだになじむからなのかしら。

せっかく目の前にあるものが勿体無いし

そんなのいけない気がしてたけど

あまりにいつもそうだから、そういうものなのかもしれない。

あの道を進むとあの子の家があって、とか
あの喫茶があって、とか

進まない道をながめてとおりすぎながらおもうみたいな

そういう感じに少し似てる。

夏火

部屋の外で小学生がワンワン泣いていた。

そういえばまだ夏休みか。

7日目の蝉みたいに、夏の終わりに泣いているのかね

と勝手な想像を膨らませてしまった時点で、25歳でしかないなあとおもう。

やあね、いやあね。

電車に乗ったらまだ午前中で、何か凄く不思議な感じ。

今朝はもっと長いこと、部屋の中で過ごしたような気になっていた。

やったことといえば、蕎麦を食べたくらいなのに。

いまから、そうだなあ、13年ぶりくらいのかたにあってくる。

ここ数日は、待ち合わせも、偶然もふくめて再会がつづく。

いや、今年入ってずっとかな。

おのずと過去のじぶんにも会う。

5年くらい前にタイで買ったブレスレットが目に入ったので、多分5年ぶりにつけてでかけてみた。

片手でつけるのがむずかしいかたちだったんだということをおもいだした。



さて、この秋のはなし。

1日かぎりの二人芝居をやるます。

芝居とトークの60分
『関口と〇〇の女』
9/14(木) 19:00/21:30
SARAVAH東京 渋谷

「雨の女」
作・演出 ジェントル
出演 関口アナム、福永マリカ

ご予約はSARAVAH東京サイト内フォームより

ライブハウスでのイベントです。
作・演出は、ぷらすとでもお世話になっているジェントルさん
共演はなにかとご縁のあった関口アナムさんです。

アナムさんはほかでもない、この企画のどまんなか。

3日間で3種の二人芝居をなさいます。

他の日の台本も拝見しましたが、とても面白い。

アナムさんは、とてもキュートでみていたくなるおひとです。

初共演ですが、密に二人でお芝居できてとてもたのしいです。

ぜひ、みにいらしてください。

ドリンク付きなので、ごゆるりと。



そして今週末26日は
お世話になっている映画監督・手塚悟さんの月一上映会にゲストMCとしてお邪魔します。

なんと山梨は甲府にて。

遠出したいと思っていたので、わしゃぴちぴちはねてよろこびました。素直。

山梨は手塚監督のうまれた地。

手塚監督の作品『EVERY DAY』はとってもすきで、ゆれるカーテンのようにささやかに日々がおりなされるのが心地よいのです。

今回上演するのはそれに加えて短編3作で、こちらはまたまったくちがった風合いの作品。

ゲストMCということでどんなふうにお話を伺おうか、とてもたのしみ。

手塚監督のもつ空気に触れるとき感じていた不思議にも、触れられそうです。

甲府のかたはぜひ。
こちらは詳細ですね。



夏もまだまだたのしいな。

泣くな、小学生。

わたしも形なき宿題にいそしみます。

ことさらのは

書くことが必要な気がして

なんとなく書くことをする日々だった。夏。

なにがということはなく、なにかが息苦しく

きゅうきゅうでいた。

はしりすぎたかなとか
すこしたちどまったほうがいいかなとか

じぶんをいたわるようなすべをさがそうとしていた。

5年前のじぶんをみてわかった。

つかれたんじゃない、つきたのだ。

いま、ちくせきがつきたようなここちなのだ。

枯渇と飽和が同時にやってきたような

たとえば砂時計の上が空っぽに
下が満タンになったような

そんなここちなのだ。

これまで描いていたせかいのはしっこまできてしまって
だからくるしかったのだ。

酸欠だったのだ。

いちばんわかりやすいのは

ことばが酸化し尽くしたのだ。

と、説明するこのことばすらも。

ずいぶん昔のお古を借りて時代からずれているし

概念だけ、ことばの形だけがのこって

なかみなんてすっからかんだから

なんにもないようなものをならべたてるすべしか
もたなくなってきていたのかもしれない。

あたらしくことばをもらいに、さがしにいかなくちゃいけない時間なのかもしれない。

砂時計をもう一度ひっくりかえすでもなく

あたらしい砂を集めに行く時間なのかもしれない。

ことばがほしい。

もっともっとことばがほしい。

あのひとと、このひととかわせる
ことばがほしい。

高尚なのなんていいから
だれかにとくべつな
そこ、ここに、とくべつな
ことばだけがほしい。

ことばがほしい。

めくれてめらめら

なにかをがんばっていないとじぶんのことがゆるせない子供時代だった

はたちくらいまで。

だからいつもなにかをがんばった。

そのときそのときのなにかをがんばった。

没頭してそのほかのものがみえなくなることにあんしんした。

ひとつのものをまもればいいしシンプルだった。

だったなあ、と、おもいだした。

いつからか、そういうことをやめた。

たぶんはたちくらいから。

がんばれないじぶんがつらいときもあった。

でも、がんばらないじぶんをたのしむようになった。

思考しないじぶんをたのしむようになった。

一日中、いえでころがっていられるじぶんを
たのしむようになった。

いつからかへいきになった。

ゆるせないこともなくなった。

5年前のじぶんの文章を読んだ。

たぶんはたちくらい。

かなしくなるくらい、すきなことばがならんでいた。

かなしくなるくらい、うらやましかった。

そのときにしかない感覚が、リズムが、ことばがある。

いまもきっとそう。

だけどどうにもうらやましかった。



絶望を越えた先の希望について考えていた時期があった。

いま、絶望を越えた先の希望を越えた先のなにかについて、かんがえはじめた。

絶望を越えた先の、希望を越えた先の、何かは

せっぱつまってもいなくて、尊大でなくて、
立派な理由も、何もなくて

いちばん難解なような予感がしている。

がんばるをこえたさきの、がんばらないをこえたさきに
どんなありかたがあるんだろう。

どんな感覚で、リズムで、ことばをならべるんだろう。

きょうもいつかにうらやましいわたしになりたくて

そういうところはかわれていないし、かわっていない。

2017年8月20日

はちはつ

こんばんは。

家からコンビニに行くような距離でも靴擦れをするような靴を、気に入って履いています。

いつもの帰り道にある部屋がお引越しをしていました。

お店のカレーは上等だけど、家の味のルーカレーは一番おいしいとおもいました。

夕立はまだよくて、今にも降りそうな空は一番くるしそうだなとおもいました。

近所の喫茶店でいちばんやさしそうな珈琲豆を買いました。

そんな風景のきょうは

おもいもよらず、4歳くらいからの自分と
ここ4年ほどの自分を

深く呼び起こし
たどる時間に会いました。

ああ、そんな風に生きてたなとか
ああ、そんな風でたすかったなとか
なにがかなしかったとか、うれしかったとか、いとしいとか、とかとか

ひとにはなすと思い出したり知ることがあって

けっこうに鮮烈な時間でした。うん。

かみしめるように、うん。

いまだからはなせることっていうのは

過去を乗り越えて、ということではなくて

これからをもみすえて、

過去と未来の間のいま、
この瞬間だからはなせるいま

というのがあることを知りました。

毎秒踏みしめたり、
立ち直したり、
光を見つけたり、
息をついで、

そんなこれまでもこれからもつづく
瞬きの連鎖の中で、いまだからはなせること

いまだからここにあること

そういうものがあることを実感しました。

どんな瞬間も、瞬間を繋いでくれる溶剤が
それは無機的なものでも、有機的なものでも、あって

奇跡的に今があります。

ありがとう。

2017年8月16日

もしゃもしゃ







すきな挿絵をむさぼるように模写していた。

模写の元:『ヨーコさんの“言葉”』佐野洋子・文 北村裕花・絵 

わたしのすきな絵というのはどうも

その線が実態の輪郭を描いておらず

うつしたいものの気配とか、まといとか

そういったもののかたちを描いている。

そこに描かれている瞬間の
0コンマ何秒前から、あとまで

含まれたような線を描いている。

むかしから、ひとの顔を描くのは大好きで

だけど、会ってすぐのひとや、会ったことのないひとは

いくらたくさんの詳細な写真を見ても描くことができなかった。

それはきっと表情の蓄積でひとの顔をとらえているからなのだけど

そういう感覚でも、わたしのすきな絵は描けなくて

気配やまとい、瞬間の前後をうつした絵は描けなくて

いったいわたしのすきな彼らはどうやって描いているんだろう

とおもって模写をしてみた。

やってみて、そのようなかたちにはできた。

けれど

模写と、真似て自分のオリジナルの絵を描くことを
交互に繰り返してみると

まったく反映していないというか
その線が描ける原理が頭でも感覚的にもわかっていないから

やっぱり全然、描きたい絵は描けなかった。




『奇想の前提』の稽古中、
自転車にはじめて乗れたときの感覚をふとおもいだした。

自転車って頭で考えたらどうして乗れるのかまったくわからない。

あんなに細いタイヤでまっすぐ立ってすすめるなんて。

だけどからだがその一筋のラインを見つけた瞬間に
なんなく乗れるようになる。

芝居をしてても、頭でいくら考えてもできないことが
ここだ、というラインを見つけた瞬間

ものすごくスムースに、
イメージが体を通って外に出て行く感覚があって

ああ、どんなものにもこの感覚は通じるかもしれないということを考えていた。




今朝、偶然に見つけた14歳の音楽家・大山琉杏さんの歌が凄まじくて

それはそれはすばらしくて

久々に人の歌を聴いて泣いた。

その歌は、もう歌っているのではなくて
歌に歌わされているようで

彼女の意思や思考をはるか超えてはたらく
「歌に歌わされている」という力をすごく感じた。

彼女が9歳位のときの動画を見てみると
9歳とは思えない、これまたすごい歌唱力なのだけど

14歳の彼女にあるこの「歌に歌わされている」という印象はまだなくて
むしろ9歳のときの方がずっと「歌っている」という印象を受けた。

これはすごく不思議で、
「歌に歌わされている」彼女の方がずっと自由で豊かで

なによりとても自然に見えた。

彼女が歌を歌っている状態が、とても必然的に見えた。

とてもスムースに
歌とその他のものを媒介しているような
こんなに豊かなのに、彼女はからっぽの筒のように見えた。

とても不思議なことだなと思った。

同時に面白いのは、こんなにも天才とかんじられるひとにも
きちんと「歌っている」時間があったということで
その時間を猛スピードで経て今に至っているということも
すごく興味深いと思った。

きちんと鍛錬でたどりつける場所なのだと思った。

歌とその他を媒介する筒のように。
絵とその他を媒介する筒のように。
文字とその他を媒介する筒のように。

歌に歌わされ
絵に描かされ
文字に書かされて…いる人の
姿が、作品が、見たいのだと思った。

それはとても不思議だけれど
なにより自然で必然的で、うつくしい姿だと思った。



このところ感じていたことにひとまずの結論が見えた。

家であれやこれやしながら思考を進める時間は
思えば2年ぶりくらいかもしれなくて久々の感覚。

ちょっとそういうターンのような気がするので
もうちょっとやってみる。

それはそうと、またさっきパンを焼いてしまった

しおちぎりパン。おいしすぎておどろく。


2017年8月14日

くろわっさんらいず

よなよなクロワッサンをつくりました。

なにかをつくりたくてたまらなくて

そういうとき、手の込んだ料理に
いちにちをついやしたいとおもうことがあって

そんなきぶんだったので、

クロワッサンをつくりました。

レシピをさがすと相当むずかしそうで

なんども失敗してやっとのことでできたというひとが目立って

つくるまえからあきらめモード。

たべられるものなどつくれないだろうと

それはもう、ねんどあそびでもするようなきもちで
とりかかりました。

よるの11じからはじめ

きじをねかしたりおこしたりをくりかえし

わたしはもちろん眠らずによるをすごし

あさの4じに仕上げのオーブン。



お?もしや、できるのでは?
ひょっとしてまさかこれは
クロワッサンでは…?



…で、できた

うそ、やだ、できた…

こ。これはクロワッサンだ…

じぶんでつくりはじめたくせして

ねんどあそびのつもりしかなかったので

ほんとうにおいしいクロワッサンができあがって
おどろくしかないわたし。

じぶんいがいのなにか偉大なもののちからをかんじる。
(そうだよ、先人がつくってくれたレシピのちからだよ)

ねかせたりおこしたりするひまな時間に
ラタトゥイユをしこんだわたし



いいしごとした。

あんた、いいしごとしたよ。

あさひがのぼり

クロワッサンは焼きたて

ラタトゥイユはとろとろ

おはようといわんばかりに
みんながよきころあいでそろいました。




ああ、なんというながめ。

うつくしや。

つくるって、課程も、完成したときの眺望もたまらない。

ちなみに父はきょう新生姜を漬けていたらしい。

子供の頃もやたらと工作していた父の姿をふと思い出し

つくりたい衝動は父譲りなのだと気付いたのでした。

せい

ひとのせいはなんにもうまれないから

ひとのせいはなんにもはじまらないから

つまらないからさみしいから

とてもとてもさみしいから

せいをよせるなら

まんべんなく

かわしてかわして、まぜてまぜて

いいもわるいもわけあいたい。

ひとりはさみしい。

ひとのせいは、ひとり。

じぶんのせいも、ひとり。

ひとりはなんにもうまれない。

ひとりはなんにもはじまらない。

ひとりはさみしいから

わけあいっこしたい。

よなよなぱんをつくります。

ひとりはさみしいから

わけあいっこします。

2017年8月13日

デイリー出入り

やっとほんとうに、かえってきたかんじ。

千秋楽から2週間。

おもったより時間がかかってしまった。

なさけねえ。

たくさんの無駄な時間をすごしたし

たくさんの時間の贅沢をした。

思考回路やからだのリズムみたいなものを変化させるのには

それなりの時間がいるようです。

とかいって、しゃらくさいですね。

でもなんか、この、

行き来する感覚と、誰でもない、誰にもなれない時間みたいなのは嫌いじゃなくて

不便なのだけど悪くはなくて

そういう時間があるから、確認できることもあるから

わたしには必要なような気がする。

なんというのか、ほら、外の国に行って空気のかおりが違うことや

そこから帰ってきてわかる、日本のかおりや

そういう感じに似ています。わかるかな。

息をするパン

温泉がきもちよくなってしまった。

サウナがきもちよくなってしまった。

必要なものが必要なだけ入ってきたときの
からだってのは正直で

温泉がきもちよくなってしまった。

むかしは何分も浸かっていられなかったのに

サウナなんて入れた試しがないのに

いくらでも過ごしていられるようになってしまった。

きょうも銭湯がここちよかった。

湯上りのいつもよりつめたい風が
どうにもたまらなかった。

からだに必要なものはすこしづつ知らぬ間に変わっていて

からだがいいね!というものもすこしづつ知らぬ間に変わっている。

おなじ時間軸でも別の土地に行けば
からだが求めるものは変わる。

タイに行ったとき、信じられないほどたくさんのフルーツジュースを飲んだことを思い出す。

頭で決めたことをつらぬいていては
その変化についていけなくなってしまう。

自転し、公転する。

重なり合うものはいつもかわりつづける。



やることをやって

あしたはパンを作りたい。

そんなの気分がやってこないかぎりやらないんだから

あしたはパンを作りたい。、

2017年8月12日

すべてひかり

うれしいことやたのしいこと

いいなあとおもうひと

それにふれた
その瞬間に

あきらかにわいてくるものがある。

あきらかに、ちがう

あきらかに、いい。

こんなにわかりやすくひかってる。

こんなにわかりやすくおしえてる。

こんなにふつうに、わかってる。

2017年8月7日

むだい

いちいちしみいる。

いちいちしみいるのである。

漬物がうまい。

おひたしがうまい。

めかぶがうまい。

自然物のミネラルが、いちいち、しみいる。

ひとがやさしい。

空気がおいしい。

つきがうつくしい。

自然物のミネラルが、いちいち、しみいる。

枯渇の先のよろこびというものなのかしら。

こういうのを知っているから

どうにも飽和することからのがれてしまうし

満たされることを拒否してしまうところがある。

食事に行った店の店主が、わたしを連れて行ってくれた常連である彼女に
「はじめてですか?」と聞き

彼女が「よくきてますよ」と返したのを見てとっさに

「いつも記憶が新しく更新されてよいですね」と返したのだけど、
いまおもえば皮肉でしかなかった。申し訳ない。

とにかくおいしかった。
おいしかったので皮肉をこめる所以はなかった。ご理解いただきたい。

部屋の掃除をする気持ちが湧いてきたし

布団を洗って干して、いただいたアロマスプレーを枕にかけて眠るのもたのしみ。

散歩に出かけておいしいコーヒーをのみたいし

そのあいまで事務作業をすませるのもたのしみになった。

確証はないけど大丈夫なあしたをきっとみつめて
きょうそばにいてくれるひとの表情の一つ一つを手に取りたい。

必要なことは必要なぶんだけ、必要なときにやってくるし

気を急いだりしなくても
湧き水のように何かが溢るる瞬間はきっとやってくる。

それだけで、大丈夫なのだとおもう。

2017年8月4日

うまくなびけない風鈴

さいきんなるほどなあとおもったのは

『過保護のカホコ』と言うドラマのワンシーンをみていて

過保護に育てられた主人公が好きになった男性に
「またあした」と言われた瞬間震えだし

「わたしも生きてていいんだっておもえた」と言っているのを見たときに

愛情をふんだんに受けてきたからと言って
自分が生きていていいと認められる自分になれるわけではないのだ

と、確認したことだった。

無条件に愛情を受けてしまったからこそ
自分が自分の力で何かを会得できている感覚が得られず

自分で自分を否定するしかバランスを保てる術がないということ。

自分の力で何かを得たり
自分の好きになった人に許されたり

そういうことでやっと、自分が生きていることを許せるのかもしれない。

だけれど

自分の力で何かを得たり
自分の好きになった人に許されたりして得た

生きてていいよ、は

そうでなくてはならない自分をまた生み出したり
その人に認めもらわないとならない自分が生まれたりすることもあって

なかなか一筋縄ではいかなさそうですね。

それは誰かにとっては高尚な悩みにきこえても
ほんにんにとっては切実なことであって

ひとりひとり得てゆくしかないことなのだな。

そもそも、許す、許される、って感覚が
まちがっているのかもね。

2017年8月3日

ささら

冴えない天気が続くらしく、すこしありがたい。

まってまって、まだそこにいない
とせかされずにすみそう。

おもったよりもささやかなことのためにいきてるってこと

あるとおもうのでわたしは

あなたがそうであることをのぞかせた瞬間を

そっとみまもろうとおもいますよ。

ささやかにみつめようとおもいますよ。

2017年8月2日

えもしれぬ

ひたすら似顔絵を描いて過ごしていた。

「奇想の前提」のひとたちの。

舞台の公演がおわったあとは、
こうして似顔絵を描くのがなんとなく習慣になってきていることに気づく。 

きっと、その作品の中にいた自分と、外に出た自分を媒介するのに
ちょうどいい作業なんだとおもった。

無心でひとりひとりをかいて
少し癒えた何かがあった。

やっぱりそれなりに、ちがうところにいっていたのだなということを
このところかんじるようになった。

びっくりびっくり。

そういうわけで心身ともに元に戻るには少し時間を要しそうで

ありがたいことに時間も余裕もあるから

すきなだけねころがったり、おちゃをしたり
すきにしようとおもう。

けっこう、うたもうたいたくて
此の期に及んでまだ何かを発したいのだなあとおもっている。

あたらしくすきな音楽家に出会ったので
そのひとのうたをうたってみたいのだ。

今はお香を焚いて、びーるをのんでいる。

ねむれなかったり、ねむすぎたり

とてもうれしかったり、かなしかったりするのが

すーと一筋の線に引いて行くのを

もうすこしまってみようとおもっている。