このたび、株式会社ギフトに所属いたしました。

『下北LOVER』千秋楽!
@下北沢CONA
8月31日(木) 9:00
ご予約はこちら

『いつものいつか』(脚本)
@下北沢CAFE VIZZ
8月20日,27日(日)9:00
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◉芝居とトークの60分
『関口と◯◯の女』
第一夜『雨の女』
作・演出 ジェントル
出演 関口アナム、福永マリカ
9月14日(木)SARAVAH東京

◉ミュージックビデオ

KANA-BOON『バトンロード』
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シンクロリウム『ロングスリーパー』
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◉映画
『漫画誕生』
2018年夏公開予定

◆エンターテインメント深堀トークバラエティー


2017年8月23日

はらのそこから


人生は短いのかもしれないけれど

おもったよりながい。

どちらもたしかにそうで、
どこから眺めるかでどちらにもおもえる。

おもったよりながくて、

おもったより暇つぶしのレパートリーがいるし

おもったより希望を探すので忙しいし

おもったより、が、たくさんいる。

だからいくらかのたたかいたくないものは
みのがしたっていいじゃない、とおもう。

いくらでもわきみちにそれたっていいじゃない、とおもう。

そのたたかいは、だれのため?ってこと

ちゃんとやめちゃって

ねそべっておしりかいて

近所の子どもの声聞いて

あ、なんだか、水彩絵の具を久々に触りたくなったな、とか無責任なことおもって

思いもしない明日に連れて行ってもらったほうが

おもった場所に、つくかもしれない。

朝劇下北沢の主宰、原将明さんの
ちょっと休みます、というブログに対する

いろんな人のコメントがすごくすてきだった。

だれでも、いつでも、どこでもいける

お金や時間は関係ない

行こうとおもったらいけるってことを知った最近

おもったよりながい人生のどこかで

どこにでもいったらいいじゃん。

いつもだれよりもやさしいはらまささん

だれよりも自分のために両手を広げる時間を

ぞんぶんに。ぞんぶんに。

2017年8月22日

あじあのあじ

過去と未来の谷間。

ここ。

過去と未来の掛け合わせ。

1秒前と1秒後の掛け合わせ。

ここ。

ここはここしかないから

それだけでかけがえのない。

進化も退化も

前も後ろもなく

ここしかないかんがえ、かんがいが

またとないことをおしえてくれる。

恩師とメイルを。

アジアのかぜをおすそわけしてくださって

おもわず「にぎにぎしい」ということばをかえしたら

「にぎにぎしい、ってひさびさに聞きました。まさにです」

という返信をもらって

そうそう、そうでしかないところに、

おもわずわきでることばのてきとうさがある。

結局いつも、

ことばに、ことばのまわりに、

みとこころをすくわれる。

あしもともすくわれるけれど

それでもまた、すくわれる。

うたをうたうようにことばをうたったり

だれかとむきあうようにことばをおいたり

いろんなときのことばがあって

いろんなかおのことばに

ときどきに、たすけられる。

いっしょうのたずな。とも。

ナッツのやさしさ


家で作るアイスコーヒー

ナッツの香りがして美味しい。

アイスコーヒーはビターすぎて炭みたいな味のするのが多いから

じぶんで淹れるのを信用しているところがあるな。

そういうのはすこし、ほっとするな。

さいきんほっとしたことはというと

・ひとの無意識の中に、昔から変わらない趣味趣向をかんじたとき

・八百屋で買い物をして、店主の女性と会話をしたとき
(たまご(10こで100えん!)を別の袋に入れてくれただけでうれしかった)

・古本屋で目的もなく本をあさっていたとき

・今週末は山梨に行くのだ!とおもいだしたとき

・朝劇下北沢のとき

・演劇をみるのが面白くてたまらなかったとき

・おなじものをみて、しらないだれかとおもわずほほえんだとき

・ひさびさに「サマージャム95」をきいたとき

・郵便配達のおじさんが、いつもとおなじおじさんだったとき

・たのしそうに熱唱するひとをみたとき

たくさんあったなあ。やったあ。

やさしいじかんをたくさんおもう。

そうするとまたここに、やさしいじかんがながれる。

こうして書いているじかんもまた、ほっとするじかん。

さ、もう一杯、アイスコーヒーをいれようか。

古本屋では、芥川龍之介集をかいました。

赤い箱入りが気に入って。

2017年8月21日

しんだいたたいだん

新代田駅前の景色は
もしかすると東京でいちばんすきな景色。

東京で空の広い場所はとてもすくなくて

住宅街にふいにあらわれる広い道とか
こうして抜ける空があると

ついつい足を止めて大きく息を吸う。

六月はこの線路沿いに、とりどりの紫陽花が咲く。

紫陽花はいちばんすきな花。

秋に枯れた紫陽花もすき。

すきだなあとおもってたこの景色は

すきだなあとおもってたアナログフィッシュの『No Rain (No Rainbow)』のMVにもうつっていて

『最近のぼくら』には新代田駅から下北沢駅までの電車内がうつってる。

はじめてアナログフィッシュのライブを観たのも新代田FEVERで

あれは去年のいつごろだったかな。

ものすごくいいライブで
水のなかを泳ぐみたいな時間だったのだけど

そのときわたしはものすごく関係のないことを考えていて

目の前で奏でるアナログフィッシュをまえに

あのひとにいえずにいることをくやんだり、ひらきなおったりをくりかえしていた。

いいライブほど、よけいなことを考えていることがおおくて

それはなんでなんだろう。
よくわかんない。

景色に溶け込むようにからだになじむからなのかしら。

せっかく目の前にあるものが勿体無いし

そんなのいけない気がしてたけど

あまりにいつもそうだから、そういうものなのかもしれない。

あの道を進むとあの子の家があって、とか
あの喫茶があって、とか

進まない道をながめてとおりすぎながらおもうみたいな

そういう感じに少し似てる。

夏火

部屋の外で小学生がワンワン泣いていた。

そういえばまだ夏休みか。

7日目の蝉みたいに、夏の終わりに泣いているのかね

と勝手な想像を膨らませてしまった時点で、25歳でしかないなあとおもう。

やあね、いやあね。

電車に乗ったらまだ午前中で、何か凄く不思議な感じ。

今朝はもっと長いこと、部屋の中で過ごしたような気になっていた。

やったことといえば、蕎麦を食べたくらいなのに。

いまから、そうだなあ、13年ぶりくらいのかたにあってくる。

ここ数日は、待ち合わせも、偶然もふくめて再会がつづく。

いや、今年入ってずっとかな。

おのずと過去のじぶんにも会う。

5年くらい前にタイで買ったブレスレットが目に入ったので、多分5年ぶりにつけてでかけてみた。

片手でつけるのがむずかしいかたちだったんだということをおもいだした。



さて、この秋のはなし。

1日かぎりの二人芝居をやるます。

芝居とトークの60分
『関口と〇〇の女』
9/14(木) 19:00/21:30
SARAVAH東京 渋谷

「雨の女」
作・演出 ジェントル
出演 関口アナム、福永マリカ

ご予約はSARAVAH東京サイト内フォームより

ライブハウスでのイベントです。
作・演出は、ぷらすとでもお世話になっているジェントルさん
共演はなにかとご縁のあった関口アナムさんです。

アナムさんはほかでもない、この企画のどまんなか。

3日間で3種の二人芝居をなさいます。

他の日の台本も拝見しましたが、とても面白い。

アナムさんは、とてもキュートでみていたくなるおひとです。

初共演ですが、密に二人でお芝居できてとてもたのしいです。

ぜひ、みにいらしてください。

ドリンク付きなので、ごゆるりと。



そして今週末26日は
お世話になっている映画監督・手塚悟さんの月一上映会にゲストMCとしてお邪魔します。

なんと山梨は甲府にて。

遠出したいと思っていたので、わしゃぴちぴちはねてよろこびました。素直。

山梨は手塚監督のうまれた地。

手塚監督の作品『EVERY DAY』はとってもすきで、ゆれるカーテンのようにささやかに日々がおりなされるのが心地よいのです。

今回上演するのはそれに加えて短編3作で、こちらはまたまったくちがった風合いの作品。

ゲストMCということでどんなふうにお話を伺おうか、とてもたのしみ。

手塚監督のもつ空気に触れるとき感じていた不思議にも、触れられそうです。

甲府のかたはぜひ。
こちらは詳細ですね。



夏もまだまだたのしいな。

泣くな、小学生。

わたしも形なき宿題にいそしみます。

ことさらのは

書くことが必要な気がして

なんとなく書くことをする日々だった。夏。

なにがということはなく、なにかが息苦しく

きゅうきゅうでいた。

はしりすぎたかなとか
すこしたちどまったほうがいいかなとか

じぶんをいたわるようなすべをさがそうとしていた。

5年前のじぶんをみてわかった。

つかれたんじゃない、つきたのだ。

いま、ちくせきがつきたようなここちなのだ。

枯渇と飽和が同時にやってきたような

たとえば砂時計の上が空っぽに
下が満タンになったような

そんなここちなのだ。

これまで描いていたせかいのはしっこまできてしまって
だからくるしかったのだ。

酸欠だったのだ。

いちばんわかりやすいのは

ことばが酸化し尽くしたのだ。

と、説明するこのことばすらも。

ずいぶん昔のお古を借りて時代からずれているし

概念だけ、ことばの形だけがのこって

なかみなんてすっからかんだから

なんにもないようなものをならべたてるすべしか
もたなくなってきていたのかもしれない。

あたらしくことばをもらいに、さがしにいかなくちゃいけない時間なのかもしれない。

砂時計をもう一度ひっくりかえすでもなく

あたらしい砂を集めに行く時間なのかもしれない。

ことばがほしい。

もっともっとことばがほしい。

あのひとと、このひととかわせる
ことばがほしい。

高尚なのなんていいから
だれかにとくべつな
そこ、ここに、とくべつな
ことばだけがほしい。

ことばがほしい。

めくれてめらめら

なにかをがんばっていないとじぶんのことがゆるせない子供時代だった

はたちくらいまで。

だからいつもなにかをがんばった。

そのときそのときのなにかをがんばった。

没頭してそのほかのものがみえなくなることにあんしんした。

ひとつのものをまもればいいしシンプルだった。

だったなあ、と、おもいだした。

いつからか、そういうことをやめた。

たぶんはたちくらいから。

がんばれないじぶんがつらいときもあった。

でも、がんばらないじぶんをたのしむようになった。

思考しないじぶんをたのしむようになった。

一日中、いえでころがっていられるじぶんを
たのしむようになった。

いつからかへいきになった。

ゆるせないこともなくなった。

5年前のじぶんの文章を読んだ。

たぶんはたちくらい。

かなしくなるくらい、すきなことばがならんでいた。

かなしくなるくらい、うらやましかった。

そのときにしかない感覚が、リズムが、ことばがある。

いまもきっとそう。

だけどどうにもうらやましかった。



絶望を越えた先の希望について考えていた時期があった。

いま、絶望を越えた先の希望を越えた先のなにかについて、かんがえはじめた。

絶望を越えた先の、希望を越えた先の、何かは

せっぱつまってもいなくて、尊大でなくて、
立派な理由も、何もなくて

いちばん難解なような予感がしている。

がんばるをこえたさきの、がんばらないをこえたさきに
どんなありかたがあるんだろう。

どんな感覚で、リズムで、ことばをならべるんだろう。

きょうもいつかにうらやましいわたしになりたくて

そういうところはかわれていないし、かわっていない。