このたび、株式会社ギフトに所属いたしました。

◎出演決定
演劇女子部『一枚のチケット〜ビートルズがやってくる!〜』
2017年11月27日(月)〜12月3日(日)
紀伊国屋サザンシアター TAKASHIMAYA
詳細はこちら

平日チーム
『リブ・リブ・リブ』(出演)
作・演出 原将明
限定シャッフルキャスト公演
@下北沢CONA
12月6日(水) 9:00〜
ご予約はこちら

日曜チーム
『いつものいつか』(脚本)
作 福永マリカ/演出 原将明
@下北沢CAFE VIZZ
11月25日(土
12月3日(日)23日(土)30日(土)
9:00〜
ご予約はこちら

朝劇下北沢プロデュース
『夜に生きて、』(出演)
作・演出 松澤くれは
@CAFE VIZZ
11月18日(土)19日(日)
12月9日(土)10日(日)16日(土)
9:00〜
完売いたしました。

◉ミュージックビデオ

KANA-BOON『バトンロード』
ご視聴はこちら

シンクロリウム『ロングスリーパー』
ご視聴はこちら

◉映画
『漫画誕生』
2018年夏公開予定

◆エンターテインメント深堀トークバラエティー


2017年11月16日

環況

なかなかおはなしできていなかった

このごろなんのお仕事をしているのか

なんとなく、数日でさらいました。

新人監督映画祭に参加した
映画『不感症になっていくこれからの僕らについて』

今週末初日の
朝劇下北沢×松澤くれは
『夜に生きて、』

再来週初日の舞台
演劇女子部
『一枚のチケット〜ビートルズがやって来る』

そのあいまに
朝劇下北沢脚本作
『いつものいつか』

来月千秋楽
朝劇下北沢平日
『リブ・リブ・リブ』

そして来年はじめにどん!
ひとり芝居フェス
『APOFES2018』の脚本・演出

さあ、年末年始、ダダダダダッと
走る走る、です。

ほかにも来年にかけて
すてきなあれこれの準備がはじまっていて

あたまのなかの
たくさんの部屋でパーティ状態

カラオケボックスみたいに
防音しておりますが

たまに隣の音が聞こえてきて
つられて歌ったりしています。
(伝わりにくい比喩)

かけもちを心配してくださる声をいただいて、ありがとうございます。

でも、かけもちだから
いまはらくちんみたいで

回転がかかるといいますか
相互に湧き出す仕組みができているようで

ひとつひとつにゆきわたって

いまはいちばんスムースです。

からだがいちばんたいせつですからね

過信せず、やすませながら
からだとともにゆこうとおもいます。

あと、ものすごくどうでもよいですが

ひさかたぶりにコスメ!ってかんじの化粧品を買いました。

コスメ!ってかんじの。わかりますか。

すっぴんではなくなる、程度にしかお化粧をしないのが常なのですが

華になるような、コスメ!を、買いました。

やっぱりすこしうれしくて
女だった、みたいです。

はじめて自分で髪の毛を巻くという試みにも挑戦しています。

やればできる、

いやそもそも
わたしは美容師の子どもだったのだ

と血が騒ぐのを感じております。

とかいって
春頃にも似たようなことを言っていた記憶があるので

おそらくすぐにめげますが

こんな日々もたのしいですね。

前髪を伸ばしてみていたりもして

これも春頃にも言っていたことなので信用なりませんが

造形の変化をたのしんでおります。

そうそう、やはり
変化がたのしいから

きっとまたわすれて
わすれたころに見出して

よろこびの報告をするのでしょうね。

2017年11月15日

Come Together

『一枚のチケット〜ビートルズがやって来る〜』

密かに、綿密に、お稽古しております。

昨日は、音楽もすべて入っての通し稽古。

ミュージカル、おもしろいですね。

なにかをつくるときはいつも
いろんな持ち場の職人たちのちからが
だんだんとあつまってくるのがとてもたのしいけれど

ミュージカルとなると
そこにあつまるおんがくを
自分が歌えて、踊れて

職人たちとまたちがうかかわりができて
とてもたのしいです。

そしてわたしはまた
矢島舞美さんを好きになってしまいました。

ひさびさにあった舞美ちゃんは
かわらず真摯で
日々刻々と進化していく様も
かわらなかった。

かわらず、かわりつづけていました。

舞美ちゃんが一層
そこにすっくと立てるように
わたしもわたしの持ち場で
しっかりがんばろうと
かみしめております。

ビートルズをはじめて日本に呼んだプロモーター
永島達司さんの物語。

舞美ちゃんの誠実さと、綺麗に重なって

そんな清らかなレンズを通して覗く未来は
胸が苦しいほどにまっすぐです。

ビートルズが日本にやってきた1966から見た未来
そして、今、ここから見る未来

遠いようでとても近く
実感を通して響くような気がします。




演劇女子部
『一枚のチケット〜ビートルズがやって来る〜』
脚本:清水有生 演出:星田良子
11月27日(月)〜12月3日(日)
紀伊国屋サザンシアター TAKASHIMAYA

2017年11月14日

ひとりひとりのひとり

ひとは不思議だと
スケールのおおきいことを
あいかわらずかんがえてる。

意識というのは
ほんとうに不思議。

おなじにんげんでも
一ミリでもそのフレームがズレると
まったくちがうひとのようになる。

フレームが動かせるようになるにも
一苦労だけれど
動くようになると日々変わる。

止まれないくらい、変わる。

ほんと不思議。

最近は、日々、いろいろな場所で
いろいろな仕事をしているから
なおのことそれを感じる。

なにより同時に
たくさんのひととともに時間を過ごすから
ひとり、ひとり、を
粒立って感じる。

それがいま、とても、興味深い。

正確な調査をするために
たくさんのデータが必要なように
たくさんのひととすごすと
自分がどこにいるのかよく見ることができる。

瞬間、瞬間に、
全身でいるけれど

こうして帰りの電車に乗ると

どこにもいないわたしになって

そのすべてにいたわたしを
とおくからながめる。

ごった煮の時間が、実はとてもたのしい。



来年のはじめ

関森絵美さんが出演する
ひとり芝居フェスティバル『APOFES2018』に
脚本・演出で参加することになりました。

絵美ちゃんが、つよく肚を決めた眼差しで、わたしに託してくれた瞬間のことを

とてもよく記憶しています。

わたしは、たのしそうだからと
「いいよー」とかろやかに返事をしたけれど

その後、どんなふうにつくるか
たくさんことばやなにかを交わす中で

絵美ちゃんのあの瞬間の「覚悟」の意味を
ゆっくりと理解したようにおもいます。

そしてきっとこれは

絵美ちゃんにとって、からはじまり
わたしたちにとって、
わたしにとって、

まるで脱皮みたいな
事件になる予感がしています。

わたし自身が
頭の先からつま先まで
生まれ変わるように、臨むつもりです。

ふたりで、
生粋のひとりを
つくります。

どうぞ、ご期待ください。

『APOFES2018』
2018年1月12日〜28日
千歳船橋APOC THEATER


2017年11月13日

生きていて楽しい



生きていて楽しいです。

いつおわっても悔いがないとは
こういうことなのではないかと思いました。

うそだろそんなもんあるかよ
という声も頭の中で聞こえますが

不意にそう思えたので信用しています。

何ができているか、ということでなく

毎瞬間、本当に美味しいのです。

甘い味も、苦い味も、酸っぱい味も、しょっぱい味も
すべて新鮮で自然な味がして

たまらなく心身に沁み渡るのです。

なんだか、心臓が強くなりました。

内側がマッチョです。

毎日、そんな、内側の筋肉量の変化を
ひしひしと感じている不思議です。

ひとって本当にうごめいているのだなあと
じぶんのことをみつめながら学び

生きるって飽きないですね。

昨日は、新人監督映画祭にて
『不感症になっていくこれからの僕らについて』
初上映を無事に終えました。

満員札止め
お越しいただいた皆様、本当に有難うございました。

わたしも予定がうまく行き
上映に立ち会うことができて
本当に良かったです。

この作品に参加し、演じ、
あらためて
この仕事は面白いと感じました。

とてもゼロの状態で
ただそこにいて、聞いたり、話すことができ
そんな現場作りをしてくださった
全員に心から感謝しました。

品田監督と映画祭で会って話していて

わたしはわたし自身と芝居を
切り離せないということがよくわかりました。

なにごとも、じぶんごととして
感じたり考える

そのわたしのくせを、品田監督が
作品の中で力に変えてくれたことが
とてもうれしく
これからのわたしの自信になりました。

作品がこれから、たくさんの旅に出て
たくさんの人に出会えるように
ずっと手を添えていようと思います。



日々、情報も、経験も、感情も
時間を超えておそってきて
渋滞しています。

だからこんな自分ごとの雑記ですが
ひとつずつ書き残すことで
日々を次へ送っていくことにします。

まだまだ、話は尽きないのです。

2017年11月12日

これから

出演作『不感症になっていくこれからの僕らについて』が

昨日よりユナイテッドシネマ豊洲にて開催されている
新人監督映画祭に参加しています。

昨日はオープニングセレモニーに参加させていただきました。



思いも寄らず、いつかに一緒にお仕事をしたかたがたともお会いできて

映画祭の喜びというのはこういうところにあるのだなあと実感しました。

「映画を作る」というドレスコードで集まるパーティ。

おのおのの作品をもちよって、
別のチームのかたと顔をあわせる機会をもつことはなかなかなく

近いのに遠い、なんだか親戚の集まりみたいで
ほくほくしました。



なかよしの藤村聖子ちゃんも
出演作『ぶきっちょ』で参加中。

レッドカーペットにあがるまえ
そわそわしながら会えて

なんだろう、とんでもなく嬉しかったです。

それぞれがせっせと歩いた日々の先で
同じ場所に立てること
やっぱり嬉しいことだと思います。

そう、レッドカーペットも歩かせていただきました。

うみのみえるレッドカーペットは
どこまでもつづくようで
とてもはれやかに歩きました。

「世界の歩きたいレッドカーペット、書き出しといてね」
という激励のメールをいただいたあとだから
なおのこと、でした。

たくさんのひとを感じて歩きました。
ご来場いただいた皆様も、ありがとうございました。

さて

ここからが、映画の旅です。

『不感症になっていくこれからの僕らについて』

品田誠監督の、最新作です。

品田監督は数年前に役者として共演した時に出会い
今回初めて監督作に参加させていただきました。

数年ぶりにお会いした品田くんは「品田監督」になっていて

作品を、そしてその中にいる人間を
驚くほどにしっかりと「見て」いました。

好きに呼吸のできるとても心地よい場所で
本当にいい経験をさせていただきました。

というとなんだか薄っぺらくなってしまうのですが
作品の外で言えることは
それくらいしかないのです。

今回、ミュージシャンの役を演じたのですが
なんと劇中で
関森絵美さんの『旅の朝』
を弾き語りさせていただきました。

彼女が私を思って書いてくれた曲を
自分の歌として歌う。

すでに皮膚のように溶け込んでいた曲なので
とても自然なことのように思えて

だけど、この曲と、絵美ちゃんとも
映画の中を、その先を、旅できること
やっぱりうれしいです。

物語に共鳴して
とてもよいピースになりました。

絵美ちゃん、ありがとう。

出来上がった作品を見た時なぜか
わたしにとっての復帰作のようだなと思いました。

日々、何かしら動いているので
何が「復帰」なのかわかりません。

でもなぜだか、そこに立つ自分を見た時に
そう思ってならなかったのです。

とても見て欲しい作品になりました。

本日上映です。

ぜひ、ご覧ください。

『不感症になっていくこれからの僕らについて』
11月12日(日)16:35
ユナイテッドシネマ豊洲 スクリーン5

http://ndff.net/filmslist/

品田誠監督と。

2017年11月9日

つくつく

とても大事な時間を
過ごしているような気がする。

オーダーメイドで
人と話したり、過ごしたり、なにかをつくるひとはすてきだ。

くらしのなかでも
しごとのなかでも

そういうひとがすき。

きょうは大切な関森絵美ちゃんの単独ライブ。

いくことができなかったけれど

こんなにも大切に思えてうれしいです。

わたしもがんばる。

2017年11月8日

壊れて消えた

散歩をしていてふいに

「等身大の老後」という言葉が浮かんで

なんだかピンときたのか、気に入ったので、すぐにぽっけにしまった。

しまってから、出して、
等身大の老後ってなんだろうと

駅のホームでかんがえた。

等身大の高校生、とか

等身大のアイドル、とか

なんとなくイメージできる。

等身大の老後、って、イメージしたこと、あるだろか。

等身大の老後

成長してるのに老いていくし
生きていくのに死に向かう

存在自体が矛盾だから

すべてが矛盾にならない、感じがした。

そんなことを考えながらノーヒントでむかった観劇

TOKYOハンバーグ
『しゃぼん玉の欠片を眺めて』

期せずして、ひとりのおじいさんと、贔屓にしているお掃除業者、家族、の話だった。

そこにあるのは具現化された「等身大の老後」で

なんだろう、
思い出してもぐしゃぐしゃに心がつぶれそうになる。

いや、物語はとてもやさしくてやさしくて

だけどこう、ぐしゃぐしゃになるのは

わたしと、老後、という単純な時間の隙間

その隙間が仮にだけれど埋まる感覚が

まるで空き缶が潰れるみたいに
ぐしゃぐしゃ、と音を立てる。

おもえば「等身大の老後」ということの中身については、高校時代からよく考えていた。

16歳から見た80歳、とかではなく

80歳の肉体の中にいる、
80歳として認識される世間の中にいる、
80歳のこと。

脚本に書こうと幾度となく思っていた。

わたしにとって、とても興味深いことのようで

たぶんそれは
祖父母とおなじ、横並びに立つことが
いちばん愛の伝わる形だと昔から信じ込んできたからだ。

それがよいこたえなのか
真偽はわからないけれど

舞台の上に立つおじいさんは

どうあれとても、とてもきれいで

すべての矛盾を全身に包括して
そこに現存していた。

ひとつ、ひとつの、筋がうごくたび
生きてきたこと、生きていることを放ち

その、在る、という説得力に息を飲んだ。

老いる、という語感は、後退のように感じてしまうけれど

その、在る、様、は

生きてきた日々の中で、削がれ、刻まれた、彫刻のようで

老いる、ということは
そうして作品の完成に向かうことなのだと、感じさせてくれた。

わたしも、生きていきたい、と思わせてくれた。

まちがいなく、そのおじいさんを演じた三田村周三さんの姿があってこそ感じられたことなのであるけれど

そんなふうにおもえる「生」があって、よかった、ありがたい、と、心からおもった。

また、そこにいるひとりひとりの在る様も、とても「等身大」であって

善も悪も、すいもあまいも、
すべて孕んで、それでも生きていていた。

正直に生きていいのだ、とおもえた。

これもまた、ありがたかった。

老い、と、家族。

愛、と、責任。

無償だからこそ、受けられない愛があること。

自分の人生を生きること

あなたの人生を邪魔したくないこと

ひとりひとりにおもいがあり

どうにも全員を抱きしめたくなった。

きっとそれも

物語の登場人物でないわたしだから、できる愛なのだと思う。

生きてるって嘘みたいだよね。ほんと。

公演が終わったら消えてしまう物語や

風が吹いたら消えてしまうしゃぼん玉と

さして変わらないね。