このたび、株式会社ギフトに所属いたしました。

『下北LOVER』千秋楽まであと3回
@下北沢CONA
6月20日(火)9:00
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『いつものいつか』(脚本)
@下北沢CAFE VIZZ
6月18日(日)、25日(日)9:00
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◉鵺的第11回公演
作 高木登
演出 寺十吾
7月21日〜30日
@中野テアトルBONBON
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◉ミュージックビデオ

KANA-BOON『バトンロード』
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シンクロリウム『ロングスリーパー』
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◉映画
『スカブロ』
6月3日 横須賀HUMAXシネマズにて先行ロードショー
公式ホームページはこちら

『漫画誕生』
2018年夏公開予定

◆エンターテインメント深堀トークバラエティー


2016年6月30日

とおのきおく

ハロープロジェクトキッズが、デビュー14年を迎えたことを知る。

何にも関係なさそうで、実はわたしにも思い出深いのは

わたしもこの秋で、芸歴14年をむかえるから。

14年前のきょう、テレビの前で、ハロープロジェクトキッズの合格者発表をかじりついて見ていたこととか

ともだちが一次選考に受かったとき、オーディションを受けなかったことをちょっぴり後悔したこととか

それでも、夏に出ることに決めた、こどもミュージカルの稽古に励んでいたこととか。

そうそう、それはわたしの人生初舞台で

人生で初めて努力、というのをしなくてはならなくなった経験だった。

技術も経験もゼロ
開脚もターンもなんにもできないわたしが

こどもながらにスターな人たちの中に混ざって同じ場所にいなくてはならなくて

できることからやるしかなくて

毎日ひたすらにストレッチをしたり
家で踊りの練習をし続けて。

そうしたらあるとき、振り付けの先生が
センターに抜擢してくれて

努力は叶うんだってこと、

からだで、こころで、感じたのは、今でも忘れられない。

その秋に事務所に所属して、
この道を歩き始めるわけだけれど

あのとき先生がくれたチャンスの煌きみたいなものが
今もひっそり照らしてくれて
それで14年も続けてこられているような気がする。

そんなこと、思い出した。

このみちを歩いているわたしと
そうじゃないわたし

両方いたのが14年前で

ちょうど今頃が、その境目だったようにおもって

何かへ向かうときの、疾走感や風速を
丸ごと思い出した。

いま、また少し、
別の、でも何か、そんな、風を感じることがある。

きっとまた生まれる。

はじまりは、なんどもあたらしく、来る。

あのときとはすこしちがう、煌きを

また生み出せるわたしになれ。

上反記

あじさいと、和菓子の水無月がとてもすきだ
ということを実感し

6月がすきなことを知る。

あじさいって、色も形も、
いろいろあって、どれもほんとうにすき。

季節の色や香りがあることは、いつも知っているけれど

こんなに感じられたのっていつぶりだろう

というほど、久々にとても時間があって

頭の中でたどってみたら、
きっと1年ぶりくらいの、いとまの多さだった。


ひさびさにゆったりと空気を吸う日々は
脳みそに酸素がよくいって
しばらく目がいかなかったことが、よく見えたりする。

アイメイクをちゃんとしてみたりとか

揚げ物に挑戦してみたりとか

未来の予定表を書いてみたりとか

すごくくだらないんだけど、できなかったことに挑戦した6月でもあった。

映画もライブも舞台もよくみたなあ。

どれもすごくよくて、ごくごくすいこんだ。

帰り道に残った心地をころがして、じわじわ浸透させた。

振り返るほどのこともなく、来月もきっとこの調子なのだけど

次に猛ダッシュするときまで、思う存分、時のなかをただようつもり。

今のうちに金髪とか、してみたりしてね。

しないけどね。


そうそう、下半期の予定をブログのトップにざざっと載せました。

よかったらみてみてくださいね。

さんきゅう、上半期。

2016年6月29日

水無月夜

よくぞきました

と言わんばかりの、

完全な季節の変わり目モード。

例のごとく、呼吸困難になるくらい眠くって

起きているのが一苦労。

ひぃひぃしています。

いろんなことがかわっても

なかなかどうして、この弱さだけはかわれないみたい。

年に4度の体内衣替え

あれもこれも出し切る時間、みたいなのが必要みたい。

季節と季節の狭間で

ちょっと時空が歪んでるんじゃないかって
疑いすらする。

そのくらい、時の中を彷徨う眠気。

無事に夏にたどり着け、わたし。

2016年6月28日

少々

家でものすごく料理をして、うれしい。

おいしいなすとピーマンが手に入ったから、
夏にはこれ!と、ラタトゥイユ。

あーこりゃ、おいしいパンだわ、と
朝からパン屋に出かけてみれば

ちょうど食パンが焼きたてで
ほわほわの一斤を抱えてほくほく。



ラタトゥイユって、鍋を抱えて食べたいほどだいすき。

無限にたべそうになるから
きちんとおいしい盛り付けと

おいしいパンをお供に。

パンもあまくって、シンプルなのにすごく贅沢なきもち。

そんでもって、これまたいいジャガイモとアンチョビがうちにあったので

アンチョビポテトしか思い浮かばなくなったわたし。

揚げ物なんてしたのは、5年前くらいで

炒め物すらしないもんだから、フライパンもなかったのだけど

ジャガイモとアンチョビがあるから、フライパン買っちゃった。

不思議なものね、何年も買わなかった必需品を

ジャガイモとアンチョビがきっかけで買っちゃうんだから。

買ってみたら680円。

680円で、知らない未来が見れちゃったの。

揚げ物をするわたしが見れちゃったの。

我が家でアンチョビポテトが食べられちゃったの。

驚くほど、おいしいおやつだった。


お料理の日常と

680円が運ぶ、ほんの少しちがう世界。

ううん、ジャガイモとアンチョビが運ぶ未来。

いつも、ほんの少しだけちがうところに

まったく知らないなにかが埋まってるって
こういうとき、とってもおもう。

いつだって、ほんのすこしなんだよな。

遠いと思ってる場所だって

日常の地続きの、ほんの少しだけ、ちがうところにあるんだよ、きっと。

2016年6月27日

隠れ御座らぬシモキタン

来年は、本多劇場に立ちたい。

すべてをゼロにして、身一つになってみたとき

このまちだけは信じてみようって

スタート地点にした、下北沢。

そんなまちを、すこしずつとびだして

いろんな場所に行ける気がしてきた今

だからこそ、このまちの真ん中

本多劇場に、立ちたい。

あの大きさにめいっぱい、魂を、波立たせてみたい。

それから先の未来も、まだまだある

ゆきたいところ、
あいたいもの、
まだまだある。

そんな今と未来の、真ん中みたいな場所に

立ってくれたらいいなあ。

いつかまた帰るときまで想像してる、本多劇場。

まだ立ってもないのに。

願うのは自由だからね。

描くのは、自由だからね。

2016年6月23日

こころから

わたしは、いいかおのひとがすきで

いいかおの筋肉のひとがすきで

そんなかおのひとをみてるのが、
ずっとずっとすきだった。

それなのに自分のかおのことは

もっと、表面的なことにこだわって

かわいくなりたい、きれいになりたい

ってずっとおもってきた。

それが、このあいだ、撮ってもらった自分の写真を見てはじめて

あ、いいかおだ

っておもえて

はじめて、じぶんのかおをすきになれた。

それは本当に、うまくいえないんだけど

もっとにじみ出る何かのことで

じぶんのこと、すごくきちんと、

みつめて、認められた気がした。

認める?

許せた、気がした。

生きてきた、かお、を

すきになれたこと

すごくすごく、うれしいなあ。

それは

出会って、この目に写してきたひとたちのこととも

できごとも

景色もぜんぶ

すきであるってことだから。

ここから、だなあ。

ここから、ここから。

2016年6月21日

秋獲

みなさまに、おしらせです。


プロペラ犬 第7回公演
『珍渦虫』
2016年10/27(木)~11/8(火)
下北沢 ザ・スズナリ

< 作 > 連行おい/えのもとぐりむ
<演出> 水野美紀
<出演>
ノゾエ征爾
伊藤修子
猪塚健太
福永マリカ
水野美紀

福澤重文
宮下貴浩
米村拓彰
平竜
坊屋たいと

2016年8月上旬チケット発売!

<お問合せ>
プラグマックス&エンタテインメント 03-6276-8443(平日 11時〜18時
企画・製作:プロペラ犬

<公演専用webサイト>


この秋、水野美紀さんが主宰されている、プロペラ犬に出演することになりました。

そうそうたるかたがたのお名前がならんでおり、
わたし自身驚いている

という本音を
ここでは打ち明けようとおもいます。

さらに、

今年の初めに
「今年の目標は、ステージナタリーにのることです」と公言したところ

3月の
東葛スポーツ『金町○屋書店』
では自分の名前が

5月の
鵺的『悪魔を汚せ』
ではチラシのビジュアルが

そして今回
『珍渦虫』
では、ついに個人の写真が掲載され

ああ、ねがえばかなうものなのだなあ!
と、ひとり感銘を受けている次第です。

徐々にかなっていったところも、
フリーランスになってからということも
なんとなくまたうれしく
着実に手にとったようなよろこびを
今噛み締めております。

などとミーハーな感想ばかりをあげましたが
本当は、ひたすらに、がんばるのみです。

初の下北沢スズナリに出演できることもまたうれしく、

こうしてひとつひとつ、新たな場所へ挑めることを、こころから幸せにおもいます。

全身全霊で、むかってゆきたいとおもいます。

この秋、どうぞおたのしみに!

2016年6月20日

彩能


ひとと、なにかをするって、とってもしあわせなことだ。

何度気づいてもわすれてしまう。

だれかとなにかをすることでうまれる

痛みや、悲しみに負けて、すぐに忘れてしまう。

ひととのあいだにうまれる、よろこびのこと。


朝劇発のおまつり
『世界彩人festival〜いろどりんちゅターチ〜』

じぶんのライブの時間に、
じぶんでうたうつもりだったちっちゃなわたしを

この日、この場所にあつまった人たちが

たくさんいろどってくださった。

オープニングでは、キシマナミさんが誘ってくださり『いろどりんちゅのテーマ』にウクレレで飛び入り参加

ハヤシタカユキさんの横で、おどり

でぶいろクローバーZさんをみておどり。

きわめつけは

朝の部さいご、わたしのうたのコーナー。


なんと作家のピッコポッコさんが
わたしの十八番『ナポリタンのうた』をおもって
ナポリタンの食品サンプルをつくってきてくださり

食べられないけど食べたすぎる
とてもとてもいいナポリタン

そして、宮原将護さん、関森絵美さんのダンスとともに

『ナポリタンのうた』をうたった。

そんな光景を、きてくださったみんなみんなが、とってもやさしくみつめてくださった。

目と目をあわせて

だれかから湧き立つよろこびをあびて

わたしのよろこびが、あふれた。

それでおもいだした。

だれかとなにかをするって
こんなにしあわせなんだ!って。

そんなこと、ひとりでまたおもいだして、ちょっと泣いた。

いつもいつも、いつもいつも、

わすれては、だれかがおもいださせてくれる。

何回わすれするんだよ、って、じぶんでもなさけないけど

おもいだすたび、泉みたいに、心からあふれるものがある。

いつだってもらってばっかり。

ありがとう、ありがとう。

いろどりんちゅって、きっと、

たくさんのひとりひとりが集まってうまれるいろどりのことなんだなあ。

ひとりのいろどりじゃない。

あなたとあなたとあなたと…

たくさんをもらって、わたして、

そこにゆたかないろどりが、うまれるんだなあ。

心から、ありがとうを!


2016年6月18日

経快

とてつもなく豊かな経験をした。

経験、なんて、ふだんあんまりことばにしないけど

きょうこそ、つかうべき、ときだった。

うまくかきあらわせられないけど

かけがえのないおもいをいだいてる。

かけがえのない、おもい。

こんなおもい、二度とないし

どこにもない。

なんてことだ。とんでもないきもち。

いままで抱いてきたいろんな法則や、〜べき、みたいなものがとってもどうでもよくなったし

やっぱりまちがってないんだなってことも、おもった。

ただ、こたえはひとつじゃなくって

真実はひとつじゃなくって

ちゃんと生きてりゃ、それが真実

それだけのことだった。

ちゃんと芝居をやる

ってはらをくくったからこそ

もっとひろく、もっとゆたかに

そのなかにある、いろんな「生」の可能性をみつめていける気がしてる。

たくさんのすべてが、

ひょんなところからの風が、

偶然の重なりが、

適当、を、おしえてくれる。

2016年6月17日

こころね

ひとをわかろうとすることは

ひとをさばくことじゃないよね。

ひとをわかろうとすることは

もっとやさしくて、ひろいことだよね。

じぶんをまもろうとすることは

ひとをはねかえすことじゃないよね。

じぶんをまもろうとすることは

もっとしなやかで、ひろいことだよね。


なんとなく、こころにずっと鼻歌がながれているこのごろは

そんなふうにおもえてきたなあ。

じぶんのメロディーがきこえてたら

じぶんのリズムを、たのしくきざめる気がします。

2016年6月16日

今と未来の、媒介

ツイッターと、ブログ、という二つの媒体をつかってます。

普段のお仕事のほかで何かを発する場所

どんなふうに居たらよいのか

日々探り探り。

この頃、ここ、ブログは、

そんなとりとめのないことを、それでも今、としてとどめておけたらいいかとおもって

ことばをかいています。

やっぱりいつかの自分の文章を読み返すと

発見があったり、自分のこと、わかったりするから

わからないままでも、その状態を、のこしておこうっておもって。

昔、美術館はわからなくていいから見ておきなさいって言われたのを思い出す。

今はその意味がよくわかるし、
あとあとふと思い出したり
じわじわしみてきたりする。

自分以外のことじゃなくっても
わたし自身のことでも
そういうことって、あるんだなあ。

こたえのないことがこたえだって
ことばのなかにいれてあげたら
いつかのわたしが、うけとりますよ。

2016年6月14日

今こそ未来だ

うたばっかりうたっている日だった。

すきなうたを、すきなだけうたいたい日だったから

からだのいうことを聴いてみた。

からだのいうとおりが、いちばんすんなり、ことがはこぶし

あたらしいものもはこんでくれる。

たくさんうたったら

たくさん息ができて

あたらしい空気もすいこめた。



みたことないところへ来た、気がしている。

このごろ。

そうそう、ここに壁がありますよね

っていつもぶつかっていたところを

きっと溶かすことができたんだとおもう。

みたことない景色をみてる。

とどかなかった、そのさきを、みてる。

なんだかわたしもおどろくような

なんでもない、特別に、触れている。

たのしみ、が、どんどん、ある。

明日、すべてがおわってしまうかもしれないから

今をめいっぱい生きたいし

この今をかぎりなくあいしてるから

ずうっと先の未来に触れたい。

2016年6月13日

進展地

ある場所に、1年ぶりに足を踏み入れた。

そのかおりをかいで

ああ、なつかしい場所のかおりだ

とおもった。

そして、

ああ、なにかがうごいたのだな

とおもった。

場所、と、人

というのは密接で

たとえば江ノ島にいる人には、江ノ島に行かないと会えない。

そんな当たり前が織りなす、偶然と必然でできている毎日で

わたしは明日を探したりしてる。

いろんなことの正解がわからなくなったとき

「下北沢という町だけは信じてみよう」

とおもった。

わたしは下北沢がすきだし

下北沢の町がすきなひとが、すきだから。

だから、ここからはじめようって、おもった。

そこからはじめたある日が

また別の場所へ届けてくれて

下北沢がわたしを、送り届けてくれるような予感がした。今日。

「帰れる場所があるから、どこにでもいけるよ」って

いつかのじぶんが書いたセリフに、
太鼓判をもらった。

2016年6月12日

川の流れのように

いろんなひとがいて

いろんなしごとがあって

いろんなくらしがある。

そういうことって、頭じゃわかってるんだけど、見えないから知らないことがたくさんで

いざ目にすると、なんだかとても、よい。

わたしが必死で守ってる正義とか

ほんとどうでもよかったりして

わたしが必死で何か作ってるような思いとか

もっと毎日おいしい定食を作り続けてる人とかからしたら大したことなくて

なんだかそれが、すごく、いい。

いろんなひとがいて

いろんなしごとがあって

いろんなくらしがある。

だからこそ守ろうと思えることもあるし

だから素軽くなることもある。

いろんなこと、もっとひろく、ゆったりとらえると

わたしにできることも

だれかにたよることも

たいせつにおもえて。

わたしでよかったし

だれかがいてよかった、って気がする。

川は今日も、よいかおり。

川が川である、かおり。

2016年6月10日

塊と魂

何年か前、わたしの頭の中には「マトリョーシカ構造」と呼ぶ思考回路があった。

私を見ている私を見ている私を見ている私を見ている私を見ている私を見ている私…

というのが無限に働く思考で

ちょうどマトリョーシカみたいに、「私」の外にどんどん「私」がいる。

名前は勝手につけた。

マトリョーシカの場合、開けると中に小さなマトリョーシカがどんどん出てくるのだけど

これとは逆に、外へと増えて、どんどん大きくなっていく。

そして、どんどん、「私」本体からはなれてゆく。

そんな回路が止まらない時期があった。

要するには、「私」は「私」がわからなくて

「私」を疑う「私」を作らなくては、信じることができないのだけど

それはどうしたって無限に連なってしまって、結局信じられないし、そこに真実はなかった。



昨日、
糸あやつり人形劇『ゴーレム』を観て、そんな思考を丸ごと思い出した。

『悪魔を汚せ』の演出をなさっていた、寺十吾さんが出演していて

寺十さん演じる男が、バラバラになってゆく様を見た。

マトリョーシカ構造の思考のとき、いちばんこわいのは

肉体から、「私」がどんどん遠のいていくことだ。

「私」とは

思考なのか
心なのか
脳みそなのか
魂なのか

それはわからないけど

その全てと肉体をつなぐ糸みたいなものが
絡まったり、千切れたりして
どんどんバラバラになってゆく。

肉体というケースの中にいないと、「私」は生きられないのに。

人形と人間が同じにならび、
そこで生き
紡ぎ、絡まるのを見て
本当の「生」についてかんがえていた。

その様は混沌としているのに、あまりにも明快に目に見えて
だから鮮明に、わたしの回路が蘇った。

終演後に寺十さんや、一緒に観に行った祁答院さん、秋月さんと言葉を交わせたわたしは

マトリョーシカ構造のなかにはいなくって

きちんと「相手」をみつめ、
生きられる幸せをおもった。


『ゴーレム』
6/12まで、KAATにて。


2016年6月9日

ビッグバンハート

自分に本当に正直な状態で
ことばを発したり、行動できてるのか

いつだって悩ましい。

何かを守るために何かを傷つけたり

自分を守るために何かを否定したり

そんなのやだなあ、っていつもおもう。

だからなおさら、おなかの底からどこにぶつかることもなく、だけどやさしくことばになると
とてもほっとする。

こころとからだがつながるかんじがする。

やっと自分を信じられるきもちがする。



わたしにはわたしの宇宙があって

あなたにはあなたの宇宙があって

わたしとあなたは別々であって

わたしとあなたは手をつなげる。

重なり会えるその瞬きの間を大切に抱きしめて

ひとり、ひとりの宇宙を、泳ぎゆくんです。

あのときうまれた衝撃や振動をおぼえて

またわたしの宇宙を広げ、深い濃紺にしてゆくんです。

2016年6月8日

がんばりれー

がんばるしかないなって

そうおもうこのごろです。

がんばるだけじゃいかんよってときだって

がんばったってさあってときだってあるけど

今はかんばるしかないなって

とってもそうおもう。

いろんなときがあって

いろんな力の使い方があって

いろんな向き合い方がある。

日々のまなびのなかで「これだ!」って決めたこたえだって

日々のなかですこしずつ変わったり、酸化してく。

解って「ことば」にしたことは

だんだん内実とずれて、意味が薄れてくるから

またあらたに見つめて、見つけなきゃならない。

いまはすごく、そんなときで

ことばや理論より、行動で、あしたが知りたい。

いまを見つめたい。

どこにいけるのか、知りたい。

そんな日々の中でまたあたらしくなにかをみつけたら

そのこたえをたよりに、またすこし戦って

それで燃え尽きたら、またあたらしくさがしにいく。

そんなことのくりかえし。

季節が巡るみたいに

自分のなかを、そとを、ぐるぐるめぐってゆくけれど

おなじところをまわってるんじゃない。

ほんのすこしさきへとむかって

らせんをえがくみたいに、すこしちがう場所に行けたらいい。

2016年6月3日

よそはそよそよ

ひさびさに、表参道、とかいうまちを歩いたら

このごろ出会わなかった感じの人たちを目にして

なんだかすごくどきどきした。

たばこやさんのなかで話してた坊主刈りの女性が、『ドラゴンタトゥーの女』のリズベットみたいでどきどきした。

かっこいい女の人が好き。

いろんなまちにいくことや

いろんな映画をみること

いろんな音楽をきくことは

やっぱりたいせつだ。

たくさんの世界に身をさらすことで、視野や思考が凝り固まらなくて済む気がするし

なにより新しい風は心地よい。

たいせつな場所や居心地のよい場所にほど

新鮮さを失い、慣れが怠けになったりするから

いつも新しい場所で自分を振り出しに戻したい。

なんてこの間もブログに書いてたから、

すぐに忘れちゃうんだ。ばかだなあ。

やっぱり文章をかくことも、わたしにとってたいせつなこと。

ひとりでいるときひとりをみつめ

だれかといるときだれかをみつめ

みんなでいるときみんなをみつめ

ひとりも、だれかも、みんなも

ぜんぶたいせつにできたらいい。

ぜんぶ、それぞれ、たいせつにできたらいい。

2016年6月1日

そうぞうするもの

どうにも言い得ない心があって

きょうは月一、映画の日で、

ずっと観たい映画があった。

この頃観ようとしていた映画もあったけど

素直な身体が「いんや、こっちだよ」って言った。

だから、ぴょいっと、
『神様メール』を観てきた。

みればすぐに、そんな全てが重なった今、観る映画だったってことがわかった。

心底美しくて、愛らしくて、たまらなくて

起こる全てにキスしたくなるような。

人生賛歌とかそんなもんじゃなくて

全ての人に見て欲しいとかそんなもんじゃなくて

存在しない全てのものにさえも、この美しさを感じてほしいとか

そんなことおもってしまった。

ことばにできないことがやまほどあるとき

映画があってくれてよかった。

どんな誰にもことばでわたせないものが、ぎゅうぎゅうにつまってかたちになる。

そんなふうにして生み出されたものだから、

映画は、ことばにできないこころを、映し出してくれるのかもしれない。

そうして映し、脱したこころで

また誰かに会いに、ことばをわたしに行けたらいい。

そんな風に思った。



神様にさえも生み出せない

ことばにできない想いがある。

それをたいせつに、たいせつに、

いだいていていいよって、

いだいていれば、ことばにしなくたって存在するよって

抱きしめたい、よる。