めくれてめらめら

なにかをがんばっていないとじぶんのことがゆるせない子供時代だった

はたちくらいまで。

だからいつもなにかをがんばった。

そのときそのときのなにかをがんばった。

没頭してそのほかのものがみえなくなることにあんしんした。

ひとつのものをまもればいいしシンプルだった。

だったなあ、と、おもいだした。

いつからか、そういうことをやめた。

たぶんはたちくらいから。

がんばれないじぶんがつらいときもあった。

でも、がんばらないじぶんをたのしむようになった。

思考しないじぶんをたのしむようになった。

一日中、いえでころがっていられるじぶんを
たのしむようになった。

いつからかへいきになった。

ゆるせないこともなくなった。

5年前のじぶんの文章を読んだ。

たぶんはたちくらい。

かなしくなるくらい、すきなことばがならんでいた。

かなしくなるくらい、うらやましかった。

そのときにしかない感覚が、リズムが、ことばがある。

いまもきっとそう。

だけどどうにもうらやましかった。



絶望を越えた先の希望について考えていた時期があった。

いま、絶望を越えた先の希望を越えた先のなにかについて、かんがえはじめた。

絶望を越えた先の、希望を越えた先の、何かは

せっぱつまってもいなくて、尊大でなくて、
立派な理由も、何もなくて

いちばん難解なような予感がしている。

がんばるをこえたさきの、がんばらないをこえたさきに
どんなありかたがあるんだろう。

どんな感覚で、リズムで、ことばをならべるんだろう。

きょうもいつかにうらやましいわたしになりたくて

そういうところはかわれていないし、かわっていない。

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