ラッキー



緊急事態宣言が解除されましたね。

変わらず、自分で考えることを続けていこ〜と思います。

今日のご飯は、大根葉とおろしの納豆スパゲッティ。

お米もパスタもそうめんもビーフンもまんべんなくたべています。

昨日は雑焼きビビンバ(フライパンで適当につくります)でした。

冷蔵庫にあるものを頭の中で組み合わせて料理するのはいい体操ですね。

家にいることに慣れていて、困らないのはいいことなんですが

困らないからそれでいいかといえば違うなあということをかんがえてます。

この生活が始まったときに、節約してもシュークリームを食べよう、という話をしたときとあんまり変わらないですね。


自炊をしても時々レストランで食事をするのが美味しいし
シュークリームが作れるようになっても、それをコンビニであれ洋菓子屋であれ買うのも楽しいです。

自分でできることが増えても
できるからそれでいいわけじゃないなあって感じてます。

できるから、人の作ったものが美味しく感じたりもする。

あとやっぱり、場所に宿っている思い出というのは忘れがたいものです。

去年だったか、下町のロシア料理を食べに行ったんだけど
あれ、おいしかったな〜…

味はもちろんですが
そのときに一緒にご飯を食べた人たちのほころんだ顔とか
赤いグラスが可愛かったこととか
すてきな店主の方がすてきなタイミングで振舞ってくださったこととか
そのかたの背筋とか

もっと複雑な感触をまとって記憶に焼き付いてるもんなあ。

今の暮らしにもともと適していたひとはラッキーだったけど

あのロシア料理屋さんがわたしに覚えさせてくれたものはなにものにもかえられなくて
きっと今の暮らしでは苦労しているかもしれないけれど

だからといって不要なわけではないよね。

いつも環境になんとか適応していく必要はあるし
それをたのしめるようにいたいなあとおもう。

でも、適応しないものを無下にしたくないなあということを考えていた2ヶ月でした。

困らない、というのはあるものの見方であって
困る、というのもまた、あるものの見方なんだなあとおもいました。

ラッキーは巡るんじゃないかしら。

ラッキーだからね。

また巡ってくるように、場所を守ろうとも思っています。


アイスクリームも作れるようになりました。