ナンやったんカレー


初めに断っておくと、なんともなかったので、今から書く話は全てだからなんやねんである。

先日、紹介状をもらって大学病院に行った。 

検査の結果を待つ間、2時間くらいあった。

前日から、結構覚悟を決めていた。
調べれば調べるほど、どうしょうもないことが書いてある。
だから、何があってもいいように、腹を決めていた。
腹の中がどうなってるのかわからなくて病院にかかっているのだけど、腹を決めていた。

よくよく考えれば、最悪に備えるために腹を決めすぎていたのだとは思う。

結果を待つ2時間は、半身は生に、半身は死に、置いているようだった。
結果次第でどちらにでも転ぶところに、ちょこんと腰をかけている気分だった。

2時間もそんなところに腰をかけているのはなかなか難儀なので、さくらももこと別役実を行ったり来たり、読んでいた。

同時に読んでいたら、二人とも長いことつらつら何かを書いているのに、何にも書いていないのとほぼ変わらない時間がかなりあった。

そのことがすごくよくて、ああ、いいなぁ、と思った。マスクの中で、結構笑った。

腰をかけている場所のせいか、ああ、人生ってこんな感じかもなと思った。

生きてるといろいろ言ってるけど、結局何も言ってないみたいな時間が大半だなと、そこに腰をかけていると思えてきて、かわいいな、と思った。

「かわいい」には、愛でる以外にも、「手中に収める」みたいな意味合いもある気がしているんだけど

死ぬかもしれないと思ったら、いろいろ言っていることなんて、手中に収まって収まって仕方なかった。かわいかった。

いや、そんなばかにしたものじゃないか。

その冗長さが、永遠のように思えたというと大袈裟だけど、刹那的な人生の中で、せめてもの冗長さでその時間を引き伸ばし、味わい、あらがっているようにも思えた。

そう思うと、手中に収めなければ、その冗長さの中にある豊満さを、旅立つ覚悟ができないと思ったのかもしれない。


さて最初に断った通り、2時間ののちに「なんでもないですね」「そもそもこの程度じゃ検査しないですね」と言われ、「なんだかすみません」と謝り、大学病院に紹介状まで出されたのに、なんやったんオブザイヤーを受賞した。
※なにやってんねんオブザイヤー受賞エピソードはこちら


その幸運に深く感謝しつつも、やっぱりこれは幸運で、本当にちょうど同じだけ、訳もなく、別の方向に転がっていただけで、そこは死だったんだよなとか

だったというか、これからもずっと、それはそうなんだよな、と思った。

すると、腰を掛け直しても、なんで自分はここに腰をかけているのかしらと思えてくるのだけど

なんでもかんでもあったもんじゃないし、想定より1,000円安く病院が済んだので、インドカレーのランチを食べて帰った。

抜けた歯の隙間からシーシャの煙を吐き出しているおじさんの絵が飾ってあって、なんかとても良かった。