満足の肉じゃが
11月4日(土)
紙芝居を作り始めなくちゃ、と思いながら、天井と床を交互に眺めて過ごす。合間に歌う。
頭の中では紙芝居を作っているので、あとは手を動かすだけだということにしてお茶を濁す。
11月5日(日)
美和ちゃん(川添美和さん)の、手作りのアクセサリーの直売会へ、最年少店長(一歳)と遊ぶ係として行く。
が、相変わらずぼやぼやぼやぼやしているので、大人として世話出来ているとは我ながら思えず、ただ身体の大きい人間が、身体が大きいというだけの能力を駆使してそれだけの責任を持って守っているという感じ。
一緒に川の石のように佇むなどした。
それでも、眠りに落ちる直前、はっ!と彼を見失っていないだろうか!と目醒めたのだから、親というのは心底大変な仕事だと思う。
11月6日(月)
採れたての水菜が、香りが強いあまりバジルのよう。美味しい。
11月7日(火)
名もなき強風により、今や祖父のかたみとなってしまった傘を曲げられて、朝からしょげる。せめて名前があってくれよ。
夜 、自分の作るご飯が美味しくて、自分の作るご飯が美味しいことが、最も過不足なく幸せだと感じることだと思った。
11月8日(水)立冬
夕刻、鍼に行こうと思ったが予約がいっぱいだったので、いただきもののいい板チョコでチョコパイをつくる。チョコパイのために夕方からコーヒーを飲んじゃったりもしちゃったから、こんな時間に注入されたカフェインのために、ようやく紙芝居を作り始める。
11月9日(木)
秋晴れだね、こんなの散歩したいね、とお米屋さんのおじさんと夢を語り合ったけど、それぞれの労働へ。
こんな日は無駄話が捗るので、道すがら二箇所で立ち話をしたら、予定の電車に乗りそびれた。
11月10日(金)
小学生の頃、図工の課題で「自分の想像する世界を小さな箱の中に作る」みたいなのがあったんだと思う。
結構完成近くまで作っていたんだけど、どうもその先が想像できないというか納得いかなくて、手が進まずにいた。
すると横で見ていた母が、「こういう時ははじめから作り直したほうが早いってこともあるからね」と呟いた。たしか。それで、完全にはじめから作り直して、たしかにすいすい仕上がった。
思えば今もそういう考えがあるし、いつも作り直したほうが早い。うちの母は、振り返るとこういう偉大なるアドバイスを数多くくれているのだが、はて、一体何者なんだろう。
-------
唐突に昨年11月の日記をのせてみる。
ここから4か月経て、先日2度目の『紙芝ゐ』を終えた。
初めから作り直すことはなかったけど、あぶなかった、あぶなかった。
なんで作ってるのかわからないままに作ってしまうと、自分の好きなものが出来てこなくて、見ていて気に入っていないから全く手が進まないんだなぁという発見があった。
発見してからは、すいすいいった。
目的というか、はじまりの部分は、忘れてはいけないんだけど、覚えているのも難しいくらい朧げなことなので、簡単に忘れる。
掴んだら掴んでるうちに、猛ダッシュしなければならない。
久々にゆっくり作れた肉じゃがが美味しかった。
自分でごはんを作って食べると、がっしゃがしゃになっていた自分のあらゆる層が、すーっと真ん中に帰ってきて、ぴっと並んで重なる感じがあるなあ
と、やっぱり思った。
紙芝居を作り始めなくちゃ、と思いながら、天井と床を交互に眺めて過ごす。合間に歌う。
頭の中では紙芝居を作っているので、あとは手を動かすだけだということにしてお茶を濁す。
11月5日(日)
美和ちゃん(川添美和さん)の、手作りのアクセサリーの直売会へ、最年少店長(一歳)と遊ぶ係として行く。
が、相変わらずぼやぼやぼやぼやしているので、大人として世話出来ているとは我ながら思えず、ただ身体の大きい人間が、身体が大きいというだけの能力を駆使してそれだけの責任を持って守っているという感じ。
一緒に川の石のように佇むなどした。
それでも、眠りに落ちる直前、はっ!と彼を見失っていないだろうか!と目醒めたのだから、親というのは心底大変な仕事だと思う。
11月6日(月)
採れたての水菜が、香りが強いあまりバジルのよう。美味しい。
11月7日(火)
名もなき強風により、今や祖父のかたみとなってしまった傘を曲げられて、朝からしょげる。せめて名前があってくれよ。
夜 、自分の作るご飯が美味しくて、自分の作るご飯が美味しいことが、最も過不足なく幸せだと感じることだと思った。
11月8日(水)立冬
夕刻、鍼に行こうと思ったが予約がいっぱいだったので、いただきもののいい板チョコでチョコパイをつくる。チョコパイのために夕方からコーヒーを飲んじゃったりもしちゃったから、こんな時間に注入されたカフェインのために、ようやく紙芝居を作り始める。
11月9日(木)
秋晴れだね、こんなの散歩したいね、とお米屋さんのおじさんと夢を語り合ったけど、それぞれの労働へ。
こんな日は無駄話が捗るので、道すがら二箇所で立ち話をしたら、予定の電車に乗りそびれた。
11月10日(金)
小学生の頃、図工の課題で「自分の想像する世界を小さな箱の中に作る」みたいなのがあったんだと思う。
結構完成近くまで作っていたんだけど、どうもその先が想像できないというか納得いかなくて、手が進まずにいた。
すると横で見ていた母が、「こういう時ははじめから作り直したほうが早いってこともあるからね」と呟いた。たしか。それで、完全にはじめから作り直して、たしかにすいすい仕上がった。
思えば今もそういう考えがあるし、いつも作り直したほうが早い。うちの母は、振り返るとこういう偉大なるアドバイスを数多くくれているのだが、はて、一体何者なんだろう。
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唐突に昨年11月の日記をのせてみる。
ここから4か月経て、先日2度目の『紙芝ゐ』を終えた。
初めから作り直すことはなかったけど、あぶなかった、あぶなかった。
なんで作ってるのかわからないままに作ってしまうと、自分の好きなものが出来てこなくて、見ていて気に入っていないから全く手が進まないんだなぁという発見があった。
発見してからは、すいすいいった。
目的というか、はじまりの部分は、忘れてはいけないんだけど、覚えているのも難しいくらい朧げなことなので、簡単に忘れる。
掴んだら掴んでるうちに、猛ダッシュしなければならない。
久々にゆっくり作れた肉じゃがが美味しかった。
自分でごはんを作って食べると、がっしゃがしゃになっていた自分のあらゆる層が、すーっと真ん中に帰ってきて、ぴっと並んで重なる感じがあるなあ
と、やっぱり思った。