みぞれ




生まれてこの方、関東平野部で生活してきた私が、雪に対して抱く印象は、どうにも呑気なものだ。

今週の雪も、めったにないことだから、成人として平然とは過ごしているが、内心は大変うきうきしていた。

その日は、上下真っ白のコーディネートをして、窓の外に積もって行く雪を見ながら、みぞれ鍋を食べた。

季節の出来事と、衣食をコーディネートするのはとても楽しい。

とても楽しかったけど、今朝、久々に朝に陽の光が差してきたのを見て、やっぱりとても嬉しかった。

朝は明るいと嬉しい。

陽が伸びてきて、夕方5時頃でもまだ明るいのも、やっぱり嬉しい。

雪が降るほどの寒さとは言え、節分と立春を過ぎ、春の気配がある。

木の芽は膨らんでいるし、時折りかすかに沈丁花が香る気がする。

近づいて匂ってみるとぜんぜん香らないのだけど、なぜかどこからか、香る気がする。

そういう気配を感じると、これまたやっぱり、どうにも嬉しい。

冬の心がそんなに暗いものだとは思っていなかったけれど、単純に環境として、冷たく暗い季節にも終わりが来るのだと感じると、希望を感じるものらしい。

昔、立春から一年が始まった理由がわかる気がする。

冷たく暗い季節は終わらせて、暖かく明るい季節を始まりとしたい気持ちが、人にはあるのかもしれない。

私だけかもしれない。



生きていると、自分固有の、果てのない問いみたいなものがあって
考え始めたら考え続けるほかないなぁ、と最近思った。

だけど、考え続けるほかないことの区切りや節目、表目、
例えば寝て起きる時とか、人に会う時、一旦立ち止まる時、などには

その考えが、暖かく明るいところにいるようにしたいなぁと、同時に思った。 

自分が生きていくための思考なのだから、自分を暖かくて明るいところに帰してすんやすんや眠るのだ。

そういうふうに計画すると、存外、途中はどんなところに行っても問題ない。

そして結局どれも、照らし合って面白い。

季節を見習い、四季を楽しむ心で過ごす。