カツ丼




これはカツ丼。

どうも、私は勝ちたい日の前じゃなく、バッドなことがありすぎて完全にこのままでは気持ちが負けるぞ、という日にカツ丼を食べる傾向がある。


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なぜこうも、積んであった本を手に取るタイミングというのは、ちょうどいいのだろうか。

大抵いつも、いつか買って積んであった本の中から、なんとなく手に取ったそれを読んでみると、今の自分の関心ごとが書いてある。

タイトルだけで買っていたりして、中身は知らなくても。

単に、知ったり関心を持った言葉が目に入りだしただけなのだろうけど

今この時まで読まずに積んでおいた甲斐があったなあ、なんて思ってしまう。

積んでおいた甲斐を見出そうとしているのかもしれないと言えば、それもそう。

そんなことを考えながらピッとしたパスモの残高は555だったりして、オカルトチックを後押しする。

でも、こういう時に感じるのは、実はオカルトチックな感覚ではなくて
スロットの目が揃うときの、単なるラッキーに対する感動のほうが大きい。

ぴったりきたぞ、という、快感とか。



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朝ちぎり絵をしていたら、前回とのタッチの違いに気が付き愕然とする。

私はとことん、そうなるように作るのでなく、そうなってしまって作られたものが見たいのだなと思った。 

過程が大切だとかいうのでもなく、答えに向かって作ったものの結果に心が惹かれないがために、答えに向かわずに作られたものの結果が見たいのだと思う。

でも、答えに向かわずにどこかに向かう時には、かなり根拠なく何かを信じていることが必要で

それは、自分だったり、他者だったり、世界だったり、するのかもしれない。

根拠なく何かを信じるというのは、ものすごく、ものすごく、絶妙なバランスでしかなされないことなので、大変に苦労するし、掴んだと思えば離れている。

根拠なくというのが、超大事。 

というか、根拠の持ちようがないことを信じるというか。

これまたオカルトチックなことではなくて、 
ラッキーが可視化されたのを見ることで、可視化されていなかっただけのラッキーたちの連なりを愛でたい、というだけなんだと思う。