三つ編みを解く
三つ編みができるほどに髪が伸びた。
ずっとなんとなくしたい気持ちのある三つ編みだけれど、とても久しぶりだと思う。
それは髪が短かったことももちろんあるけれど、それだけじゃない。
三つ編みって、日本ではなんとなく、少女のイメージがある。
だから、少女ではなくなった今、三つ編みをすることになんとなくためらいがあった。
だけど、三つ編みがしたいなあと思っていたのは、いくつになっても少女的でありたいと思っていたからではなく、単に、三つ編みという髪型がナイスだからだ。
そんな折、オーディションに行った際に、とある女性の、私より年上の役者さんが、三つ編みをしていらした。
それが、とっても、とってもチャーミングだった。
元々好きな役者さんであったこともあるけれど、オーディションという緊張してしまう場に、その三つ編み姿の彼女がいらしたことで、なぜかわたしはとてもラフな気持ちになった。
オーディションの帰り道、一番ほくほくしていたのは、
「やっぱり三つ編みって大人がしてもいいんだ!」という自信を得たことだった。
そんなことを考えていたせいではないけれど、オーディションは落ちた。
その後も、『フレンズ』のなかで私と同じ歳の頃のモニカが度々三つ編みをしているのを見かけ、その姿もものすごく良く、やっぱり三つ編みはいい髪型だなという確信に至った。
三つ編みの良さは、まずひとつに、ラフで気さくさがあるところ。
なぜそう見えるのか考えてみたところ、
自分の身体の一部である髪の毛を編んでいるということの愉快さに理由があるのではないかと思えてきた。
その愉快さは、たとえば、自分の舌でWの字がつくれるんです!みたいなこととか、黒目を片方ずつ動かせるんです!みたいなことをやってみせる愉快さに近い。
自分の身体なのに、自分の身体だから、まるで自分とは別のもののようにあそんでみせることができる、その気さくさ
そこが、三つ編みをいいなと思う理由の大きなひとつである。
真剣に考えてみてたどり着いたけれど、くだらないことを真剣に考え過ぎたこたえなので、ほんとかどうかはわからない。
とかく、三つ編みが、少女的なものの追想としてでなく
単にいい髪型として、老若男女に親しまれていてほしい。
だからわたしは、愉快な、ジャーンの気持ちで、三つ編みをしていこうと思う。
ずっとなんとなくしたい気持ちのある三つ編みだけれど、とても久しぶりだと思う。
それは髪が短かったことももちろんあるけれど、それだけじゃない。
三つ編みって、日本ではなんとなく、少女のイメージがある。
だから、少女ではなくなった今、三つ編みをすることになんとなくためらいがあった。
だけど、三つ編みがしたいなあと思っていたのは、いくつになっても少女的でありたいと思っていたからではなく、単に、三つ編みという髪型がナイスだからだ。
そんな折、オーディションに行った際に、とある女性の、私より年上の役者さんが、三つ編みをしていらした。
それが、とっても、とってもチャーミングだった。
元々好きな役者さんであったこともあるけれど、オーディションという緊張してしまう場に、その三つ編み姿の彼女がいらしたことで、なぜかわたしはとてもラフな気持ちになった。
オーディションの帰り道、一番ほくほくしていたのは、
「やっぱり三つ編みって大人がしてもいいんだ!」という自信を得たことだった。
そんなことを考えていたせいではないけれど、オーディションは落ちた。
その後も、『フレンズ』のなかで私と同じ歳の頃のモニカが度々三つ編みをしているのを見かけ、その姿もものすごく良く、やっぱり三つ編みはいい髪型だなという確信に至った。
三つ編みの良さは、まずひとつに、ラフで気さくさがあるところ。
なぜそう見えるのか考えてみたところ、
自分の身体の一部である髪の毛を編んでいるということの愉快さに理由があるのではないかと思えてきた。
その愉快さは、たとえば、自分の舌でWの字がつくれるんです!みたいなこととか、黒目を片方ずつ動かせるんです!みたいなことをやってみせる愉快さに近い。
自分の身体なのに、自分の身体だから、まるで自分とは別のもののようにあそんでみせることができる、その気さくさ
そこが、三つ編みをいいなと思う理由の大きなひとつである。
真剣に考えてみてたどり着いたけれど、くだらないことを真剣に考え過ぎたこたえなので、ほんとかどうかはわからない。
とかく、三つ編みが、少女的なものの追想としてでなく
単にいい髪型として、老若男女に親しまれていてほしい。
だからわたしは、愉快な、ジャーンの気持ちで、三つ編みをしていこうと思う。