かまわず



▲賞味期限から救われた栃尾の油揚げと、ラブな友人からいただいた器。



ある日、2年ほど大切にひょろ長くなるのを見守っている家のやなぎの、葉がカリカリに枯れていた。

枯れていた、などと言っているけれど理由は明白で、

そうです、この私が、水をやっていなかったのです。

なにに集中して、どこにいたのかわからないけれど
家の草たちに 水をやる、たったそのことをやれずじまいでいる週間があり

当たり前のように、葉はカリカリに枯れ落ち
その姿を見て、ああ…とどうにもならない悲しみと、なぜたったそれだけのことができなかったのでしょうという自分への失望にいっぱいになった。

枯れてしまったものは戻らないと知りつつも、今できるのは水をやることだけだと、懺悔の気持ちをすべて込めた水やりを精一杯した。

あとはもう、2年間の勇敢なひょろ長っぷりを信頼し、私なんかの怠慢にその勇敢さは負けるはずがないのだと信じるしかない。

信頼と無責任は紙一重である。


すると今朝、あたらしい芽が出ているではないか!

ピンク色のかわいい芽が、にっこり出ているではないか!

ああ、本当にありがとう。

私の怠慢など気にも止めず、強く逞しく生きていてくれて心から感謝します。

いつもこうして、家の緑が私とは無関係に生き生きとしていることに元気をもらっている。

だからうちの緑は、決してトリミングされた美しさはなく、野生のままにとりあえず生きている。

観葉とはいえない、我が家に住む生き物のひとりたち。 





4月もおつかれさまでした。
雨で栗の木の若い香りがたちますね。