22山、登頂


ついに、春が一番遠い季節になったのね、と

エッセイの中のご老人が春の始まりに浮き足立っているのが、
想像の中にあまりにくっきり蠢いて、遠く遠くうらやましくて気付きました。

それもそうだ、冬至が過ぎたんだから。

あら不思議、一番遠いけど一番近い季節、春。

それがぐるりと一周ってことか、
それはそうだ、それはそうだな。 

2022、冬至


今年も一年が暮れてゆきますね。

どんな一年でしたか?

去年くらいから、年の初めに『100の目標、やりたいこと』というのを立てていて

これは、「動物園に行く」とか「気にいるお皿を買う」とか、「元気に挨拶をする」みたいな、すごく些細なことを無遠慮に書くものなのですが

もちろん年始に100も思いつけるものでもないから、ちょっと書いては放って、また思い出しては書いて…というのを繰り返して

12月の頭くらいに100個のやりたいことが並ぶくらいのゆるやかさで書いていました。

少し書き足すたびに、それまでに書いた目標と被らないようにと読み直すわけですが

その度、忘れていたようなことが、ほんの少しずつ果たされていたことに気がつくんですね。

その、思いもよらず叶っていた感!がとっても嬉しくて

ささやかでも、自分なりに何かを果たせたり、前よりちょっとだけ、よくなれたことが嬉しくて

そういうことを、本当に小さく小さく積み重ねようとしていた一年間でした。 

最近きれいだったもの①

とくに、人知れず叶っていて嬉しかったのは
「読書を習慣にする」でしょうか。

何年も、なかなかどうしてうまくいかなかったことだったのですが

『桜文』の現場で読書家たちに囲まれて過ごしたことによって、おのずと習慣化されました。

出会いには、こういうこともありますね。  

習慣になる前は、本を読んでいる自分に、なぜか恥じらいと言いますか 

「本を読んでいる私」感、が、際立って感じてしまって、なかなかうまくいかなかったのですが

習慣というのは本当に大変なもので
ひたすら繰り返すと、肌に馴染んでいって、「本を読んでいる私」は消えていきました。 


最近きれいだったもの②


きっと、あらゆることはそうできるのだろうなぁと

本当はもっとこうなりたいけど不自然だなぁとか、すごく頑張らなきゃいけないなぁとか、私には似合わなくてかっこ悪いなぁとか、これじゃ嘘をつくことになるからなぁ・・・と思うこと を

はじめの違和感が肌に馴染むまで、気を長く持って、ひたすらひたすら繰り返してみようかなと、思えてきました。

日々日々、外にあるあらゆることに目を向けるたび、自分の未熟さやおろかさを直視することになるのですが

最近は、その先に地続きで
がんばるしかないなぁ、と思えるようになってきました。

でもそれはあんまり苦しい感覚でなく
ひたすらひたすら、こつこつこつこつ続けることさえできれば

少しずつ、ほんの少しずつよくなることがある、と思えてきました。

来年も、そのくらいの速度で、そのくらいの時間の感覚で 、気長さで

私を待つことができたらいいなぁ、
そんなふうに思ってます。

そしてそれが、他へ向かうひろやかさになっていけたらいいです。

本当に、がんばろう。

今日の夕飯


さて、あとは静かにこつこつ、おせちを作りながら
息を整えて、年の瀬を過ごすことにいたします。

今年も一年、大変お世話になりました。 

ありがとうございました。

どうぞどうぞ、あたたかくして、まるくなったりのびのびしたりして

良いお年をお迎えくださいね。