月並みとか、正気とか

パルコ・プロデュース2022
『桜文』
長野での大千秋楽を終えて、東京へ戻りました。

たくさんのご来場、本当にありがとうございました。

東京、大阪、愛知、長野で全30公演
すべての公演を完遂出来る喜びは、今の世じゃまったく月並みではなくて

この幸運に感謝の気持ちでいっぱいです。

明治後期から昭和初期の吉原を舞台に描いた作品でした。

作中に出てくる「月並みが月並みじゃない」という台詞
いつも舞台裏で注意深く聞いては、なんども確かめていました。

なんども確かめるうち、ああ、「月並み」なんて本当にあるんだろうかと思うようになりました。

いつの時代も、その時代なりの困難があり、
月並みを実現し続けるために、月並みでない努力を重ねているんじゃなかろうか。

こういうとき、いつも憲法第12条の「不断の努力」って言葉を思い出す。

突出するための何かということより、ここで使われるような平らかさ、月並みが月並みたることを保つ意味での努力。

「正気」とは何かってことも、すごくわからなくなった。

本気で人を愛そうと努めた先に、狂気がある。

無情ですよね。

「正気」も「月並み」も、日々の瑣末なことを尋常じゃないほど真摯に見つめ続けないとかなわないんだと思う。

掴んでは離し、掴んでは離し、見つけつづけないとならないのかもしれない。

それって正直、気が狂いそうなほど気の遠くなる作業だと思う。
でもそれを、なんとかやっていきたいな、不断の努力ってやつをやっていきたいなと思っている今です。

できるだけへらへらね。



読書好きが共演者の方に多く、おすすめの本を貸して頂いたり、頂いたり、していました。

こんなに舞台の最中に本を読んだことはあったかな、いや、日常でもこんなにずっと本を読んだのは学生ぶりかも。

とくに、この頃はあまり小説を読まなかったけど、おすすめしてもらって読んで、小説の面白さを再発見しました。

創作物を、心から信じることというか、素直に読むことが
今回の自分の役回りとしてもとても必要な感覚で
日常的に本を読む行為に大いに助けられました。

物語の内側ではなく外側から、
送り手としてでなく受け手として信じることを、とてもよく探した時間でした。

本はいいですね。

他人は自分が思うより複雑なんだってこと、小説を読むとよくよく思い出します。

当たり前に、複雑な一人一人が、単純なふりをして街中に立っていて、すれ違っていて
時々深く関わって、それでも関わるためには、単純な言葉で待ち合わせして
だけどどうしても切実な、腹の底から飛び出そうなほど切実なことは一人一人のなかに確かにあって
飛び出しそうなのに、交わることはそうないから、抱えるほかなくて

そういうことをみんな黙って皮膚のうちに内蔵しながら
「月並み」や「正気」を保って生きているんだってこと

そういうことを承知することは、単純に今日もなんとかやるか〜と思う助けになります。

本の楽しさを思い出させてくれたこの出会いにも、深く感謝しています。





そうそう、『桜文』アーカイブの配信が決まりました。
ご覧になっていない方も、映像でも観たいと思ってくださる方も、この機会にぜひ。




帰ってきたぞ、という気持ちで
かけたいだけのパーマをかけてもらいました。

好きな髪型ができることの幸せを今は存分に享受します。
あと、マイソファーでの編み物。