眺めの良い山

なにをしても元気が出なかったり、どうにも立ち上がれないときは、価値の置きどころが変容するときなんだなと思うようになった。

それまで価値を感じられてたことが、そうは感じられなくなるような。

そりゃぐらつく。そりゃそうだ。

そんなにしょっちゅう価値の置きどころが変わってちゃあ信用ならないが

なんというか、こう、

たとえば、禅問答の真意をわかったような気になっていたら、まったくわかってなかったんだな!とわかる

みたいなこと。

多分一生わからないまま、それをくりかえして、そのたびぐらついて、また次のバランスをつかまえるんだとおもう。

同じことを信じ続けていつの間に信念めいたものが酸化していることにはたときがつくより、

信じるものなんて日々変容したほうが自然で快適なのかもしれない。



白みその柏餅はしっかりたべた。

こういう、日々のめじるしは大切なこと。

納豆ごはんは、毎朝の習慣。

眺めの良いおろし納豆ご飯山。