「売れるとは。」
https://www.tcc.gr.jp/relay_column/id/4362/
4年前にこの記事を読んで、とても安心したというか、しっくりきたというか、
以来ちょっとした私の指標に、無意識下でもなった。
コピーライターの、岩崎亜矢さんのコラム。
ハンバートハンバートのコピーを書いたりしていらっしゃって、この記事にも、ハンバートハンバートの音楽のことが書かれている。
当時は、ハンバートのツイッターでこの記事がリツイートされていて出会った。
読んですぐ、こんなことも書いていた。
記事の中で挙げられている「バビロン」は私の大好きな曲で、まさに岩崎さんの書かれているところに惹かれているんだと思う。
これは何度も書いたことがあるけれど、
ハンバートハンバートの音楽を私が好きなのは「ほっこり系」とか「癒し系」だからではなくて
とてもよく、生活の脈を感じるからで、猛々しい山に見える筋のように、生まれたての透明なのにも枯れ落ちたのにも浮かぶ脈のように、生きていることの脈が浮かんで見える。
人の肌の筋に浮かぶものに触れた時の感覚や、他人の心のひだに期せずして触れてしまった時の感覚、ああいうときのものは決してつるっとしたきれいなものではなくて
ざらっと、びりっと、違和感のようなものがあり、生きているものの匂いがあり、温度があり、湿度があり、とても生々しいものであると思う。
けっして単純に癒されはしないけれど、きっと自分自身の心身にある生き物としてのどうしようもないなまなましさに目を伏せずにいられて、
そういう意味では、安堵したり癒されるのかもしれないと思う。
という脳内の整理はさておき、わたしはこの岩崎さんの記事にあった「売れるとは」という話に、深く勇気をもらった。
自分の仕事のペースとか、目標の数や高さみたいなものや、お金と仕事のバランスみたいなものには、永遠に悩むんだろうと思うけど
とくにこの4年前は、かなりもがいていたような気がする。
アルバイトをしないで生きていきたいと思っていたし、売れるものを売って生きたいと思っていたけど
そのペースでは生きられないこともわかってきていたし、体調も良くなかったし、売れるものを売ろうということの下品さというか、二度とは生えてこない自分の肉を切り取って売っているような痛みとか、
とにかく「これでいいのか?」感が強くありながら、身を削る術しか知らず、一生懸命取り組むしかなかった時期だった。
子供の頃に大きな芸能事務所にいたからか、フリーになって自分の手がとどくところで仕事をするようになって
「どんどんアンダーグラウンドに潜っていこうとするよね」と言われたことがあったり、「自分の欲望にもっと素直になりなよ」「売れたいなら売れたい気持ちに正直に頑張りなよ」と言われることも多くあった。
もともと、フリーになったのは、誰と仕事しているのか、自分が何をしているのか、自分の手で触れられる場所で確かめながらやっていきたかったからなんだけど
それでもやっぱり、経済的に生きていかなきゃいけないこととか、社会的に惨めな気持ちになると
自分でも、自分の望むことがわからなかったし、今も度々わからなくなる。
自分の形にしたいことや、したくないことに真摯でありたいと思って行動したりしなかったりすることって
仕事に限らず生活や対人関係の上でも、
それが多くの人に見てもらえることや認めてもらえることと、本当は直結しなくていいはずなんだけど。
「いい塩梅で、ある程度の人気を保ち続ける」
本当に、それが一番いいけれど、それがどれだけ難しいことか。
だけど岩崎さんが「それは手抜きではなく、ましてややる気のなさでもなく、目指すべきポジションとして、とても「ひたむきさ」を持つ結論なのでは」と書いてくださったことで
自分の目指したい場所の高さではない、心地のようなものに、とても自信を持てた。
わからなくなりながらも、あきらめずに触りながら探し続けたいなと思えた。
「ひたむきさ」
その表現に、とても前向きになれた。
売れようとしたって売れるほどの資質があるのかは果たしてわからないのだけど。
別にないとも思うから、すべてただの取り越し苦労だろうともおもうんだけど
そういう評価の面をのぞいても、なんというか、爆発的に何かが起こるということが私は大変苦手で
できればどこにも振り切らずに、ゆらゆら生きていけたら安心だなと思っている。
過剰になって見失うことをひどく恐れている。
多分心臓がもたないとも思う。
いわゆる「バズる」という劇薬を味わいたくないのは、わたしの場合は、自分が人間から離れていきそうだから。
だから、とくにツイッターの短い文章では、わかりやすく味のする言葉を使わないようにしているつもりでいる。
ところが、先日、本当に期せずして、たんなる悔恨のツイートが拡散されてしまって、
ああやっぱり静けさが一番がだとふるえていたところ
なんと、岩崎亜矢さんがいいねしてくださって、フォローしたら、かえしてくださった。
フォローすること自体、人によって意味の異なるものだとは百も承知の上
それでも、とても嬉しかった。
そしてあらためてあの記事を読み返して、また真ん中に戻る思いになった。
ああ、「売れる」ということの恩恵を、こんなかたちで知ることになろうとは。
遠くまで行くために水圧が必要なこともあるものなんだな。
いっそうわからなくなったような気もするけれど、これからもひたむきに生きようと思った。