人との距離なんてものが求められるようになる前のころ
ビデオ通話をしていた時

ふいに目の前に「虚」という文字が浮かんで
画面の向こうにいる相手を見られなくなったことがありました。

「虚しい」ってこういうことかあ、と
言葉の意味を実感してしまった瞬間です。


書くのが遅くなってしまいましたが、日曜日に
オンライン公演「スイートスポット」
終演しました。

ご視聴頂いたみなさん、ありがとうございました。

この公演のはじめての稽古の時におもいだしたのが
「虚しい」という実感です。

画面の向こうにいる人たちと、生身で稽古している時にはあったはずの感覚を
画面越しに得ようとしていました。

きっと「虚しい」という感覚は
「ない」ものを「ある」ように勘違いしようとする努力と
その自家発電に気がついた瞬間にあるんだなあ、と
この時思いました。

一人でやる、感、ですね。

インターネット上、画面越しでの稽古に慣れて
徐々にその虚しい気持ちは無くなりました。

物語の上でも、今回は「インターネット上、画面越しでのやりとり」
だったので、そのまま受け入れて、
インターネット上、画面越しにあるものを受け取るコミュニケーションに変えていきました。

ここにはここにあるやりとりがあって
絶対にその手が私に触れられないから話せることがあり
絶対にこの手があの子に触れられないからこぼせない言葉もありました。

面白かったです。

集まらない、人との距離をたもつことを優先する今、

今回のオンライン公演を終えてぼんやり
私の今まで好きだと思ってきた演劇って何かなと考えたら

その瞬間、そこに「ない」ものを自分たちの力で生み出していて
そこにわくわくさせられるものでした。

10人の登場人物がいるけれど3人しか役者がいないなら
老若男女どんな役でも3人でやっちまうとか

ショベルカーを出したいけどないのなら
ここにある大量の椅子を組み合わせて影でショベルカーに見せかけるとか

その瞬間に起きたトラブルだって

そこにいる誰かと、あるものと、なんとかする

そういう想像と創造のちからにどきどきわくわくするのが
私が演劇を好きなわけの大きな一つでした。

今回、「スイートスポット」は
劇場でできないこと、インターネット上、画面越しであることを味方につけた演目だったと思います。

その瞬間
そこに「ない」ものを、「ない」と受け入れる
そこに「ある」ものを、「ある」と受け入れる

「ない」穴に湧く泉みたいなものを味わう。

そういうことができたので、これもひとつの演劇だったなあと感じています。

それは虚しさではなかったし
虚しさをも、作品の一部に変えられたような気もします。

書きたいことはいろいろあるのですが、これが今一番書き残しておきたいことです。

ご視聴頂いた方に、かさねてお礼申し上げます。

また、同時に配信した3作品をまとめた映像があっぷされました。

生でその瞬間に配信している感じとはまた異なってしまいますが
よかったらご覧ください。
公開期間は未定のようです。

https://youtu.be/LCtc2LkcmKU



楽しかったです。

今あるもので、湧いてくることをぐんぐん楽しんでいこうと思います。