そーれ



ちょっとご飯作るのも食べるのもめんどうくさいなあって思っても

新鮮でおいしい野菜が目の前にあると、このかたがたを美味しく食べないと!という使命感に駆られてご飯を作ろうというきもちになります。

これは最近の発見。

それで、食べて、みなぎってくるの。

食欲も、食べて、わく。

おなかすいたから食べるとか
おなかすかないけど滋養のために食べるとか
おなかすいてないけどおやつ食べるうふふ、とか

食べるってそういうもんだと思ってたんですけど

食物のほうから「食べる!」っていう使命感をもらうこともあるんですね。

畑をやっている方とか、その近くに住んでいる方は馴染みの感覚なんだとおもいます。

よく、「自分のためには頑張れないけど、家族のためならがんばれる」という人がいるのもこんなかんじですか?

「ため」が「せい」になったらこわいけど
理由がいくつもあるのは、重い腰が上がりやすいよね。

よいしょ、とか、こらしょ、とか、どっこいしょ、とか
いろんな掛け声を持ってたらいいね。

沈黙しているものからでも、ことばや力をもらうことがあるもんです。