遠出

早織ちゃん撮影

雨が続くなあ。

二日間のお休みをもらった。

どこか温泉にでもいけるぞこりゃ、とおもっていたのですが、結局は何にもしないのが一番だと感じて、気まぐれに過ごすことに。

さあ出かけようと、必要なものだけ布の買い物袋に入れて出かけたのだけど
目的地近くでその袋の手触りが思っているのと違うなあと感じてみてみると
用意したのとは違うキャンバス地のバックを持っているではないか。

その中身は、明日の支度が揃っていて、お財布も、今日必要なものは何も入っていなくて、なんだか気抜け。

いや、すでに気抜けしているから、こんな間違えをしているのだけど。

特に気落ちはせず、へらへらと家に戻り、ああ、あったあった、用意した買い物袋。

本日二度目の出発。

写真を、使い捨てカメラで撮るのが好きなのですが、撮ったらしばらく焼かずに置いておくことが多いのは、一旦忘れてしまいたいからでしょうか。

夏にとっておいたものを、ようやっと現像しに行く。

現像を待つ間に、喫茶店へ行って、珈琲を。

いつもはそんなことないのに、ものすごく混んでいて、店員さんたちも「今日は喫茶店で過ごしたい日だよねえ」と話している。私もそうだったみたい。

動物だなあ、と、こういうときに思う。
飲食店で働いていたとき、よく感じたなあ。

読みたい本を持って行ったら、面白くてなかなか離れられず、その間にみんなの「喫茶店衝動」もおさまったようで店内が空いてきたので、もう一杯おかわり。

いよいよ長居がすぎるなあと感じたので、本を閉じて、お店を後にする。

写真は、データにだけしてもらうことが多いです。
帰ってきて、データを見てみると、まあ見事に記憶がない。

夏に色々な場所に行ったときに撮ったのと、人に会っているときに、不意に撮ったもの。



ずいぶん気ままな夏を過ごしていたんだなあと、写真のきまらないかんじを見て思い返す。
その決まらなさが、けっこうすき。

また小出しに載せていきます。

また今日も、母に最近買ってもらったセーターを着てしまった。

気にいると同じ服ばかり着たくなってしまうし、ちょうどよい気楽さに、このセーターはどうにも手が伸びてしまう。

衣服って、「どんな見た目か」というのはもちろんなのだけど、たぶん「自分にとってどんな意味の服か」ということが大きいなと思う。

やはり、母にもらった服だから、安心してきてしまうのだろう。

身に付けるものって、そういう「身を守る」要素があるよなあということを、そういえば中学の家庭科の授業でも習ったような気がする。

髪の毛って、そう考えるとすごく不思議な立ち位置。

衣服にとても似ているけれど、自分の一部だし。

去年の末に髪の毛を切ってから、よく、髪の毛のことを考えている。

なんで金髪にしたの?ってたくさん聞かれて、色々に答えているけれど、たぶんどれも本当だし、どれもそうでもないかもしれない。

ちょっときになるテーマだったので、最近、ヘアショーを見に行ったのだけど、見たことのない、知らない世界にとても感動した。

私はファッションもヘアも全く詳しくないからわからないし、こんなこと語り尽くされているのだろうと思うけれど、アートであり、日常であることについて考えたりしてる。

とりあえず、身に纏うものとか、身を纏うものには、少なからず言葉があるなあと思う。うまく言えないけど。

髪の毛って、私の身体の中で一番試して失敗できる箇所だなあって気がついたから、色々やってみたくなってしまっている。今更だけど。

何が一番居心地がいいのか、ちょっと離れたところに行って、考えているのかもしれない。

旅行もそう。いろいろそう。

ちかくでわかったらいいんだけど。なかなかなあ。



思いついたままにながながと書いてしまった。
明日は、銀英伝の話をしようっと。