あうと・おぶ・ぱーく



たとえば、
トイレットペーパー、なくなってるけど、誰かが替えてくれるだろう
とか、そんなことからはじまるのかもしれないなあ。

誰かは、やってくれるけど、私は、やってない。

気づいたら、替えるっていう、それだけで、実はいろんなことが変わるかもしれないなあ。

今回の選挙は、いつもより参加した感じがして、それってなんでだろう?と考えてみたら、驚くことに「少しだけどお金がある」ということが根っこにあるとわかった。

わたしの性格上、人に頼ることがあまり、得意ではないから

なるべく自分で生きよう!って思っちゃう。

そうすると、お金がないと、どんどん生活が小さくなっていくんです。

お金を使わなくなり、家から出なくなり、人と関わらなくなり、世の中がわからなくなる。

そのうちに考えも自分の中でめぐりだして、お金がないのは自分のせいだ、税金もそんなに納められてないのに権利なんてない、ああ生きてるの大変だなあ、つらいなあ。

そう思ってたから、全然、政治に関心が持てなくて、余裕がなくて、自分のことで精一杯だったし、自分のことで精一杯だということを盾にしていたなあ、と思います。

それだって、自分のせいだけじゃ、ないとは思うんだけどね。

どうしたって、社会の一部だからね。

そんなことに気がついて、アルバイトをしたり、自分が生活するのとほんのわずかのお金が生み出せる生活に変えたら、少しずつ視線が上がって、自分の中だけでめぐっていた考えが、少し広がった。

誰かと時間を共有できたり、誰かに対してお金や時間を使えることが、わたしには少しの、生きている自信になるみたいで

今日あの人どうしてるかな、と考えることが、少しずつ少しずつ広がって、国の動きまで少しだけ目線が届いたから、選挙に参加した感じがしたんだと思う。

本当はお金がなくても、他者や世の中に影響を与えずにも、受けずにも生きていけるわけじゃないんだけれど

お金がほんの少しだけあると、それだけで、積極的に影響しあえるんだなあ…。

まだ、選挙の結果はちゃんと追えてないけれど、1票の大きさを感じるところもたくさんあって、ちょっとよかったです。

まえから、生活の1つ1つの選択は、投票みたいなものだとは思っていたけど、そういう選択の先に、政治がちゃんとあるということが見えてきたのは、おもしろい変化でした。

これからも、トイレットペーパーは積極的に替えつつ、誰かとたくさん時間を共にして、考えを分け合っていきたいなあ。