青い

こんばんは。

きのうは、劇作家協会の月いちリーディングでした。

Nana Kiera Ichikawaさんの『人魚の瞳、海の青』を読み、ディスカッションしました。

この企画は、戯曲のブラッシュアップが目的で、主役は劇作家のかた。

まずこのかたちが、すごくいいなとおもうのと

わたしはふだん役者として、戯曲を受け取る時

基本的に上演することが決まっていて、その日も決まっていて、そこに立つことを前提に考えながら読むので

どうしても、そこに立つことを想像しながら読んでしまうのですが

こうして戯曲について話し合うために、戯曲を読む、という体験はとても貴重で

ああ、普段からこうあるべきだなあ、と、とてもおもいました。

このことについては、最近、観劇しながらもよく感じていて

もっと純粋に(純粋もいろいろだけれど)作品と出会うほうがいいし

その出会った瞬間のことをもっと大切にしたいなと、つよくおもっていて

そのことをよくたしかめられた、きのうでした。

『人魚の瞳、海の青』を読んでいて、ふと22歳くらいの自分に再会しました。

とても永遠を願っていて、
無理だからこそ願っていて、
とにかく逆らおうとしていた、
何に、?
あれ、曖昧だなあ、

その感覚が懐かしくなったことに、
かなしみと、ありがたみを感じました。

でも、ディスカッションの場でさまざまな意見が交わされる中にいると

それは決して懐かしいことではなくて
忘れていただけで、今も自分の中にある怒りや痛みであることを知り

ハッとしました。

受け入れていること
受け入れられていないこと
受け入れたいと思っていること
それを希望に変えられたらなあと思っていること

白か黒か、

過去か未来か、なんかではなくて

ぐちゃぐちゃに混在してるのがいつも、今だなあと感じました。

少女たちを描いた戯曲を読みながら

作家のNanaさん、そして一緒に読んだ役者さんたち、という女性と共に過ごして

ああ、もっともっと、女性と力を合わせて生きてみたいな

ということも、おもいました。

あまり、女性か男性かという区分が好みでなかったことと

学生時代に得意でなかった人が女性だったことがあって

女性について考えることを避けてきたような気がします。

でも、昨年、舞台『アンネの日』を観てから、

もっと自分が女性であることを大切におもいたいし

自分以外の女性のことを大切におもいたい

そして、守りあいたいとおもうようになって

今回、『人魚の瞳、海の青』という戯曲や、このリーディングでの出会いに、改めて今の自分にとって大切なことのようにおもいました。

異なるもの同士の力を合わせることも必要ですが

似たもの同士(生物として)が、どうにも自分たちにしかわかりえない痛みをわかり合って、助け合っていくことの必要も、やっと、わかって

未来が明るい気がします。

ああ、おもいもよらず、長くなってしまいました。

きょうは、友だちと珈琲を飲んで、
とてもいい服を見ながら、食べたいものについて話したり

好きなだけ散歩して、好きなことを好きなだけ話して

なんだかとても、開放的な気持ちでした。

帰宅して、ニュースをみて、いろんなことを考えて、閉口しそうになりました。

いろんな人のことを考えました。

でもだからこそ、じぶんの、うれしかったことを、うれしかったときに、書き残そうと

ちょっと決心して、これを書きました。

毎日、ありがとう、と思います。