ぎったんばっこん

ミクロとマクロを行き来しながら

あれやこれやをかんがえたり

内と外を行き来しながら

是や非をかんがえる。

生きるのってなんてたいへんなんだ、とおもうこともあれば

生きてるのってそれだけでしあわせ、とおもうこともある。



正しさとは何か、という問いに

「正不正を固定しないで、
正しいか正しくないかの間で
バランスをとろうとするほうが、
考えが生き生きとリアルに動くと思います。」

と答えた谷川俊太郎さんのことばに

おもわずうんうんうなずいた。

とどまることのできないくるしさもある。

べきだ、と言えたらかんたんなこともある。

それでも

生きるための
まんなかをみつけるために

そのシーソーをとめずにはいられない。



ともあれ、きょうも、生きた。

「生きてるだけで、正義だよ」と
数年前のわたしが言った。

正しさとかやかましい
と思ういまでも

このことばにだけは、ぎゅっと握手をしてしまう。