あるくまま

流星群を見に5時に起きて
北海道ファッションで外へ出た。

流星群はみえなかったけれど
月があんまりに澄んでいて綺麗だったので

缶コーヒーを買って眺めた。

冷えて帰ってきて眠って

起きて9時。

大晦日から続いている

掃除のような模様替え
かたづかないけれど
好きなものが視界に広がっていって

とてもよくて
日差しも良くて





ああ、この部屋が好き。

洗濯をしながら
好きな音楽を聴いて

気がついたら陽も落ちる頃で

カメラを持って散歩に出た。

うまく撮れるわけじゃないんだけど
カメラさえあれば
部屋じゃなくても
好きなものを集められることに気がついた。

だから最近、カメラがたのしい。

片っ方無くした手袋、三人にあった。





なにをしてあげられるわけでもないから
両手でバイバイしておいた。

夕方になって
お腹が空いて
牛丼屋さんにはいって

牛丼を頼んだ。

頼むと1分もしないうちにでてきて
目の前に牛丼御膳がひろがって

わたしは両手を合わせていただきますをした。



今日は26歳の誕生日。

日常がここにあってたまらなくうれしくて
ひとりじめしてすごした。

ふとみたら
たくさんのひとがやさしさをおくってくれていることに

去年の暮れくらいから気がついてた。

常温がとても暖かく
ここちよく
日常が最上で

26年かけて見つけた平穏のような気がしてる。

それでも数日前、特別に

自分へのプレゼントで
ゆびわを買った。

ふと出会った、よいお店で
よいのをみつけて
音楽はハナレグミバージョンの「ぷかぷか」がかかっていて
おみせのおねえさんもとてもすてきで

「ゆびわってふだんつけなくて。
なにゆびにつけるのですか?」

ときいたら、

「その日、その日
きょうはこのゆびだなって
しっくりくるところにしますよ」

とおしえてくれて

ここで買おうと決めた。

決めた一つを購入し
包んでもらっていると

「このゆびわは
ミャンマーの人たちが作っていて
幸せを願うという意味が込められているみたいですよ」

とおしえてくれた。

そのうえフェアトレードのゆびわだったみたいで

えらんだものが
よいものだったことが
とてもうれしかった。

よいものをえらぶんじゃなくて

えらんだものが、よいものだったことが。



役者をやることになるとは思ってなかった。

歌って踊れる歌手になりたかった。

脚本を書くことになるとは思ってなかったし
演出をすることになるとは思っていなかった。

でも、よいものだった。



わたしのすきな彫刻家は

なにかをつくるのではなくて
そこに埋まっているものを掘り出すと言った。

わたしのすきな音楽家は
まるで話の途中みたいに
からだの延長の、指先みたいに
うたをうたう。

さがしているものはもうそこにあったり

なにかをしようとせずに
ただ、そこにいることが
いちばんすてきにうつったりする。

そんな、そこにある
ごく自然で、必然的なことに

そうなるように、なるものに

みみをすませている。

それは

ふりかえったら
たくさんのやさしさをおくってくれていたひとたちからの

その、おくりものを
両手を広げて

きちんといただくことから
はじまるような気がしています。

いつもありがとうございます。

26歳も、よろしくおねがいします。