僕は思わずくしゃみをした

しぜんをもとめてるみたい。

先週末は気がついたら、山梨にいた。

その日、甲府では
『甲府城で逢いまショー』という映画の野外上映をやっていて

実は前から目をつけていた、けど、

朝から雨降りだったのに
まさかほんとにいくとはおもわなかった。

こういうときのじぶんのフットワークのかるさにはおどろく。

なんというかすごく
そこに「えー」みたいなきもちがうまれなくて

いく、と、そう決めた瞬間からのすべてがたのしくなる。

これは生まれ持った、ラッキーだなとおもう。

いざ甲府に着いた時にはすでに満足している感じもして

旅路が、その時間が、とてもちょうどよかったから。

でもおいしいごはんをたべたら、またたのしみがそそぎこまれた。

あたたまったからだで、いざ目当てのイベントへ。

その名の通り甲府城でおこなわれており、小山のうえにスクリーンが設えられていた。

上映の2時間前からすでに
ぽつりぽつりとひとがいて
ぽつりぽつりと降る雨に負けずレインコートで参戦する姿はなかなかおもしろかった。

例に漏れず私もそのひとりだったのだけど。


映画に加えて、上映前にライブもあって

タイの楽器を用いたバンド、モノラルミニプラグが演奏していた。

すでに雨は強くなりはじめていて

でも私の近くにいた4人家族のちいちゃいおんなのこは

レインコートを着てたのしそうに、お父さんに買ってもらったポップコーンを食べていた。

なんだかそれをみたとき、ふと、

ちいちゃいころ、我が家で月に一度ほどだけ許されていた

『お風呂でアイスクリームをたべる』というイベントのことをおもいだした。

ほんとはお行儀が悪いからやっちゃだめだけど
たまあに、だけ、湯船の中でアイスクリームを食べていいよって

なんだかその

やっちゃいけないことをやっているどきどきと

あったかいお湯につつまれて、口の中に広がるつめたいのを感じるたのしさ

すごくすごく鮮明におもいだした。

たのしいあそびをあたえてもらっていたんだなあということに気づき、

それはとてもありがたいことだなとおもった。

そんな風だったからわたしは
こどものころ、自分で遊びを見つけ出したり、日常をイベントにするのが得意だった。

砂壁に懐中電灯を当てて、きらきらひかるのをプラネタリウムと呼んだり

家の壁にイベントのお知らせを貼って
家族を巻き込んで開催したりした。

なんでも遊びやイベントにできるのは無敵だ。

野外上映という試みは、あの時のあの感覚にそっくりで

やっちゃいけないと勝手に思い込んでいる楽しいことの扉を開放してくれる感覚があった。

その日の上映作品は
甲府出身の富田克也監督作『バンコクナイツ』。

モノラルミニプラグのリズム

いっそう強くなった雨

雨の多いバンコクの思い出がからだにしみてくる

ラオスの広い空がスクリーンに映し出された時

スクリーンの先の甲府の広い空とつながって

この景色全部がスクリーンになった。

映画を観終わると、一瞬本当に、ここがどこなのかわからなくなって

甲府駅に歩く一歩一歩のなかで
踏みしめて取り戻しながら帰ってきた。

なんでも遊びにできる無敵モードを呼び起こしてもらった私は

味をしめて昨夜

葛西臨海公園でやっている演劇
ニッポンの河川『大地をつかむ両足と物語』を観てきた。

朝家を出て
電車に乗るまで全くそんな予定はなかったのだけど

思い立ってしまい、雨が降ってきたけど偶然にもレインコートみたいな上着を着ていたので強行突破

して、正解だった。

大地と海と空

観覧車とディズニーランドの花火

役者さんは身一つが、三人

寒いけど肩を寄せ合ってみるお客さん

ぜんぶがまるはだかのまま、機能しあっていた。

役者ってすごいし
人間ってすごいし
肉体ってすごい。

手があり足があり、
その先につかむ自然があり、
その自然の中に人間がつくったひかりがあり、

そのすべてを視界におさめて作品にする瞳がある。

身一つの無限をおもう。

身一つの自由をおもう。

だから想像しただけで泣けてくる。

まだ見ぬ、広大すぎる空が見えそうになるから。

まぶしくて、くしゃみがでる。