愛とか言って

ダルデンヌの映画の愛はなんでこんなにかなしいんだろう。

おっかけてもおっかけてもたどりつかなくてかなしい。

でもわたしにもどうにも祈りとしか呼べないような夜があって

このかなしみのかたちはしってる。

ヴェンダースの映画に出てくる愛は、なんであんなにほどよい距離感なんだろう。

ひなたぼっこみたいな、とおくからてらされる愛

夜もまだその温度がすこしのこってくれるような

いつも燃え尽きもしないような。

ふたつのちがうかたちの、にているのは

どちらにも距離があるということ。

その距離のあいだには
なにかのうまれる余地がある。

叶わないものも永遠だし
燃え尽きないものも永遠のようにおもう。

いろんなかたちをみたし

いろんなかたちをいだく。

すきなものをすきというのだって

すきなものをすきでいるのだって

とってもちからのいることだ。

この世には、重力とか、時間とか、
いろんなそれぞれの方向に駆け抜けるエネルギーがあるから

すきなものをすきでいるのだって
恒常性を保つのだって

ひとつのエネルギーが必要だ。




さてさてあしたはWOWOWぷらすと。

『エディマーフィーを語る。』

今日は全然ちがう映画の話をしてしまったけれど
あすはたっぷり語ります。

映画の話をする時間、
そのあいだにある余地がいいなとおもうようになりました。

ぷらすとのおかげです。

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