さいぼう

きのう、初対面の人と話をしていて

ふだん顔見知りの人にははなさないようなじぶんの情報をはなしていたら

ふと、とてもすとんと

ああ、わたしって人に恵まれているんだなと、わかった。

理解した、というのはこういう瞬間のことをいうのかもしれなくて

なんだかものすごく、わかった。

あのすてきなおみせのすてきさを知っているのも

あのひとのおもしろさを知ってるいるのも

あのごはんのおいしさを知っているのも

あの時間のたのしさを知っているのも

あの映画のおもしろさを知っているのも

ぜんぶだれかのおかげで

ほんとうに人に恵まれている。

わたしの恵みはわたしのまわりのひとがくれている。

そんなことをふと、ちゃんと、わかったものだから

ついついかきたくなってしまった。

だれかといきることは

ひとといきることは

じぶんをいきることで

その逆もしかりだということを

手に取るように感じる数ヶ月だなあとおもっている。

だれかにもらって
じぶんのなかでそだてて

わたしの血肉になったときに
やっとだれかの存在を
ちゃんと認識できるような気がしていて

そのためにもっとひとりで立ちたいし
だれかと歩きたい。