アンネの日

じぶんでもびっくりしたのだけれど
わたしは自分が女であるということを自覚していなかったのかもしれない。

自覚していなかったというか
認めていなかったというか
許していなかったのかもしれない。

昨夜、風琴工房「アンネの日」を観て
嵐の前の静けさに包まれた夜の中を歩きながら
そんなことに気がついた。

チャーミングに美しく生きる女性たちを見て
彼女たちを大好きになって

心の底から寄り添うように
また、寄り添ってもらうように過ごした2時間の中で

わたしのなかで無意識に否定していた
「わたしは女である」という認識が
溶けて、解き放たれたのだと思う。

この物語の中には、
「女として生まれたばかり」の女性が出てくる。

彼女は、心は生まれたときから女性だったけれど
やっと肉体的に、そして社会的に、女性になりはじめた。

そんな彼女に登場人物たちが照らされるのと同じように

わたしも、「わたしは女である」ということが
照らされ、浮かし出された。

わたしはずっと、
「女である前に人間である」と思ってきた。

その二つで分けられるほどシンプルじゃないと思ってきたし
そんなにさみしいことはないと思っていた。

少し寒いことを言えば、魂に性別はないと思っていた。

そしてそれは全く確かなことだと今も思っている。

でも、それとは別に
「人間である前に女なのかもしれない」と
昨夜気付いた。

それは生物学的な面で揺るぎないことで
男と女は全く違うものなのだとわかった。

とてもあたりまえなことなのに
やっとわかった。

それがわかったら、なんだか急に
自分が女であることを許せた気がした。

性別など関係ないと思っていた時よりずっと
許せた気がした。

許せていないなんて思ってもみなかったけど
そうだったのだと思った。

自分にかわいそうなことをしてきたかもしれない。

そして、舞台の上に立つ女性たちのように
チャーミングで美しい、色とりどりの
わたしのまわりの女性たちを
もっともっとたいせつにしようとおもった。

女性にしか守れない女性という側面がきっとあって
言葉ではわからないけれど
感覚や身体が知っている「女であること」を
きっと守りあってゆこうと思った。

舞台の上に生きる女性たちが美しくて
わたしは女性を好きになれた。

この根本的な発見は
わたしにとってわりとおおきなことかもしれなくて
生きることに光が差した感じがする。

ふたまたの道の一つをみとめられたから
自分の歩いてきた、そして歩いて行く道を受け入れられたから
ずっと歩いていたのにできなかったことができたから
もう逃げたりごまかしたりしないで凛と歩ける。

とっても足取りが軽くなった気がする。