さよう、なら

「作用するのと
利用するのは
おおきくちがうことだとおもってる。

なにかやだれかのすきまに入ること
わたしのすきまをなにかが埋めることは

なんだか。ちがう。

ひとは一人一人、つぶつぶであってほしい。
ひとつぶ、ひとつぶ、が、あつまるときは、
細胞になって作用してほしい。

自分が自分をどうしようもなく求めるかぎり
そうあってほしい。

バランスのとれたその場所に
自分があたらしく細胞としてぶつかってみたとき
作用していけるようになりたい。

欠けたところは、欠けたまんまでいい。」




いつかのわたしの日記。

眠れぬ夜によみかえしたら、今やっている舞台の役柄にとてもしっくりくることばだった。

日々はずんずん移り変わって、わたしの思考回路もずんずん更新される。

いろんな役柄に出会って、いろんな思考回路に出会う。

あのときの、あの回路、を取り出して、また、たどる。

だけど、実感としての「あのとき」を蘇らせるのはそう簡単じゃなくて

すこしずつ、すこしずつ、
実感を、感覚を、確実に

記憶から今へ
記憶から肉体へ
移植する作業をしている。

移植は、きちんと、痛みを伴う。

拒否反応もある。

じっくり浸透するのを待つ、

それと同時に、日々を守ることをする。

ニュートラルな、水のように心地よい日常を守る。

やさしい睡眠と、おいしい空気。

誰かの命を燃やす仕事と
わたしの命を守る日常。



鵺的第十回公演
『悪魔を汚せ』
5月18日(水)〜24日(火)
下北沢駅前劇場

作 高木登
演出 寺十吾

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