起きない朝のこと

いろんなことが起きるのは
実はあんまり得意じゃないみたいだ。

それはいやってことじゃなくて、
うれしいんだけどうまく噛み下しきれないから。

わたしはいままで
なんでもないようなことから、しあわせを抽出するのがだいすきだった。

なんて虎舞竜みたいになっちゃったけどほんとそうで

日々の暮らしの中にある小さな凹凸が、
わたしを通すと、顕微鏡で見るみたいに大きくいろんな形に見えた。

そのことはべつにいまだっていつだって、かわらない。

だけどこのごろは、顕微鏡だとうつりきらないくらい

おおきくておおきくておおきな出来事やおもいが、毎日やってくる。

抱えきれないほど大きなことほど、書き残して、少し心から抜き出して

すこしずつととのえてゆきたいのだけど

まだわたしは焦点の置き所や、隙間のつくりかた、時間の使い方がわかってないみたいで

おもうようにそれができてない。

それに、ことばにすぐに変換できないこともたくさん増えた。

いまだって、立ち止まって、そこにある沈丁花をじっくりとかいでいたいけど

あしたのこともあさってのこともきになる。

ここに生きられるようにならないと、あしたもないのにな。

ピント調整、春までにして、

毎日を、ひとつひとつを、ひとりひとりを、

もういちど、いままでよりも、

大切に生きられるようになりたい。

それでもぐんぐんとオールをこぎたい。

もうひとつおおきくてをひろげたら、たぶん、だいじょうぶ。