ピントくる

暮らしの中では、なにを持っておくかよりも、どこに焦点を当てるかってことが大事なんじゃないかなっておもった。

なにを中心にまわるのか

その一点さえあれば、いくらでもゆらぐことができるんだな。

曖昧や混沌を、それをそれとして、そのままで、ながめることができるんだな。

なんて、前にも言った気がするな。

何度思っても忘れちゃうのはきっと、その点が移り変わることがあるからで

それはそれで、間違ってないことなんじゃないかな、と、かすかに思ってる。


ぐん、と、まなざしの向くところが浮き上がって、

そのほかのことがきちんと、背景として平らになってゆく。

新しい感覚が、すごくうれしい。


稽古をしていて気づくことは、きっと日常にもいえることで

ほう、なるほど、とおもいながら、凝縮された人の時間を生きている。