人、間
フランス映画祭にて、『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』をみてきた。
写真家、セバスチャン・サルガドを題材にしたドキュメンタリーで
『パリ・テキサス』のヴィム・ヴェンダース監督と、セバスチャン・サルガドの長男であるジュリアーノ・リベイロ・サルガド監督の作品。
ヴィム・ヴェンダースの映画を観ていると、映画という表現をしているはずなのに、なんだか聴いている、受けている、という印象がすごくあって
それがわたしには、すごく、すごく、ありがたくて、ヴェンダースの映画がすきになった。
今回のドキュメンタリーにも、同じ感覚があって。
それは、セバスチャン・サルガドが写真を撮る、というときの姿勢にも重なって見えた。
40年にも渡り世界の人びとを撮り続けたセバスチャンが求めたもの、
そして得ることが出来ないとわかったこと、
その先にあったもの。
すべてを通して感じるのは、セバスチャンが地球を抱きしめる腕や手のイメージで
それは表現でありながら、無言で、ただ、ただ、受け止めている姿にみえた。
だから、語ってしまうのはもったいなくて
だけどこの感覚を残したくて、感想を書くに至った今です。
うまれる、というのは、死ぬこととそっくりで
だけどきっと、そのそっくりのほんの、ほんのわずかな隙間に
何にもならない
、
みたいなところがある。
何にもしてはいけないから、ただ、抱きしめられたら、これ以上はないとおもう。
写真家、セバスチャン・サルガドを題材にしたドキュメンタリーで
『パリ・テキサス』のヴィム・ヴェンダース監督と、セバスチャン・サルガドの長男であるジュリアーノ・リベイロ・サルガド監督の作品。
ヴィム・ヴェンダースの映画を観ていると、映画という表現をしているはずなのに、なんだか聴いている、受けている、という印象がすごくあって
それがわたしには、すごく、すごく、ありがたくて、ヴェンダースの映画がすきになった。
今回のドキュメンタリーにも、同じ感覚があって。
それは、セバスチャン・サルガドが写真を撮る、というときの姿勢にも重なって見えた。
40年にも渡り世界の人びとを撮り続けたセバスチャンが求めたもの、
そして得ることが出来ないとわかったこと、
その先にあったもの。
すべてを通して感じるのは、セバスチャンが地球を抱きしめる腕や手のイメージで
それは表現でありながら、無言で、ただ、ただ、受け止めている姿にみえた。
だから、語ってしまうのはもったいなくて
だけどこの感覚を残したくて、感想を書くに至った今です。
うまれる、というのは、死ぬこととそっくりで
だけどきっと、そのそっくりのほんの、ほんのわずかな隙間に
何にもならない
、
みたいなところがある。
何にもしてはいけないから、ただ、抱きしめられたら、これ以上はないとおもう。