語ラヌシス

本日のWOWOWぷらすと「コーエン兄弟を語る。」、おえました。

美しいは正しいなあ、とおもっていて。

善悪とか、いい悪いとか、面白いとかそうじゃないとか

考えちゃってよくわかんなくなっていたときに

ジムジャームッシュの映画をみて、目にいいものは正しいなあ、とかんじ、とってもすくわれました。

コーエン兄弟の映画「バートン・フィンク」をみたときにそれを思い出して、なんだかすごくうれしくて。

理を超えた何かに出会うと、頭でっかちなわたしはとってもあんしんするんだけど

さらにそれも超えて、内側をまた飛び出て構造でみせてくれるかんじがすごくすきでした。

と、また理屈を述べちゃう私ったらいやだわ、とおもって臨んだきょうのぷらすと。

松崎健夫さんの、一点でなく様々な角度から語ることでみえる軌跡みたいなものや

西寺郷太さんの、音楽を作る視点からのことば。

その真ん中というリッチな立ち位置でお話を聞けてほんとうにたのしかったです。

ついつい結論を見出しそうになったり、自分の答えに寄せたくなってしまうのが悪いくせなのですが

お二人のお話のなかでゆらめくことで、きょうはいつもより、たくさん感じることがあってしあわせです。

だからお話したいことはたくさんあるけれど、今は口を結ぶことでその気持ちを、ここに。

このたくさんは、また次の作品をみるときにひっぱりだします。

きょうも、ありがとうございました。