心鮮

「接客業をしているとき、毎日何度もいう「ありがとうございました」を、
そのひとと自分のあいだの出来事みたいなものを、ちっちゃくても思いながら言うと
全然違う音になって、お客さんも振り返ってくれるのが、おもしろかった。」

というツイートをしたのですが、そこから思うことがあったのでブログを。

上の状況の逆が、
すごくくせのある音で「ありがとうございました」という店員だと私は思っていて

この場合は、気持ちが音になるのではなく、音先行なわけです。

ひとが話すといううえで、音というのはとっても大事で鮮度を左右するけれど

くせのある音で「ありがとうございました」をいう場合には、二度見してしまうほどのくせがほしいなあ、とおもいます。

どちらにせよ大切なのは、新鮮味がある、ということです。

むかし、ユニクロが無音のCMを流した時、おもわず振り返ってテレビをみてしまい

こういう注目のさせ方もあるのか、と驚いたのを思い出します。

たくさん情報を詰め込んだり、すてきなCMソングを使わずとも

流れると思っていた音が流れなければ、ひとは見るのですね。

新鮮に感じることには、何か理由があって

意表を突くこと、は、とっても大切で楽しくてすてきです。

でもわたしにとっては、血がかよったものであること、のほうが大切です。

文字の上でも声にする上でも、コピーアンドペーストのことばはなるべく使いたくなくて

それはそのことばが生きている気がしないからで。

生きたことばをつかえば、生きたひとの中になんらかの形で振動が伝わるんじゃなかろうかと思っています。

文字にしたらよくあることばでも、音にするときに血をかよわせることだってできます。

お店にとってお客さんは、たくさんの中の一人だけれど

お客さんにとってお店は、たくさんの中から選んだ一つだから

たったひとつ選んだ、今そこにうまれた何かを

ことばで渡すのがよいんじゃないかなあ。