あじとおなじ
△捌いたあじ
胃カメラで麻酔をしたんだけど、うつらうつらの状態で看護師さんに、あーこれは全身麻酔とは違うんですか?なるほど、呼吸までできなくなるのが全身麻酔なんですねえなどと質問していて、ああわたしはもしかすると、死ぬ時もこんな感じで、なるほどなるほどと言いながら死んでいくのかもなと思った。
こうやって意識が遠のいて、ああ身体はこんな感じなんですね、なるほどなるほど…
胃袋は大変に綺麗で、毎日仕事で見ている魚の内臓に似ていて、わたしの中にもあれとおんなじようなものが入っているんだなあと、この目で確認して嬉しかった。
この前は足のレントゲンを撮って骨を見たんだけど、時々こうして自分の肉の中を見ると、妙に満足する。
自分なのに、しばらく会っていない、または会ったことのない場所に会えて、おお、元気でやっていたか、それはよかった、ありがとう、またいつか、という心持ちになる。
自分の肉体は自分のもののようでいて全く他人のようである。
わたしのまったくあずかり知らないところで、おのおのの働きをしていらっしゃる。
年々そんな感覚が増してきて、だから年々、他人としてよく話を聞くようにしている。
他人なのだから聞かねばわからないし、話を聞いて折り合いをつけないと一緒に暮らせない。
心と肉体と頭のようなものがあるとしたら、それぞれが全然他人のようなものだなと感じる。
日々それらの連携プレーを管理しながら、本当の自分以外の他人、社会の人々と連携プレーをしているなんて、人間はみな玉乗りしながらジャグリングしてるサーカス団のようなものだと思う。
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