ロマン、されど中央
優しい劇団『光、一歩手前』の名古屋公演の本番の朝、モーニングに行った。
友達で、この公演のゲストトップバッターだった、にいべさん(新部聖子さん)が、激励の言葉とともに名古屋の美味しいモーニングを教えてくれたのだ。
にいべさんの言う美味しいものは、美味しい。
そりゃホテルの朝食食べてる場合じゃないですねと言って、ホテルの朝食も野菜バイキングもりもりだけ食べて、教えてもらったモーニングへ行った。
そこは、果物屋さんがやっている喫茶店だった。
すると扉に、「11月末で閉店します」と貼り紙がしてある。まだ入ってもいないのに、なんだか胸が詰まる。にいべさんの好きなお店が、なくなってしまう。
中に入ると、小さなお店だけれどカウンターもテーブルも常連さんでいっぱいで、ちょっと待ってくださいねと店主の老夫婦が声をかけてくださった。
テーブル席の常連のおばあさまが、食べ終わってもうすぐでるから、とりあえずここにかけてよとスーツケースを持つ私に向かいの席を勧めてくれる。お言葉に甘えて、相席して待った。
カウンターの常連さんがフレッシュリンゴジュースをホットで頼むのを見たり、向かいのおばあさまが少しだけ眠ったりしているのを感じている間に時が過ぎ、おばあさまが目を覚まして、お待たせまたね〜と帰って行って、そのままテーブル席が私の席になった。
小松菜とバナナとリンゴのジュースを頼んだら、トーストとバナナとリンゴとオレンジが付いてきた。550円。
果物屋さんがやっているからそりゃそうなのかもしれないのだけど、果物が、すごくすごく美味しかった。
トーストも、バターが美味しいのか、なんだか異様に美味しい。
美味しいなあ、美味しいなあ、と思いながら、このジュースの果物がこの組み合わせにたどり着いたこととか、バナナがこの切り方にたどり着いた経緯とか、バターがこの種類のバターにたどり着いた道のりのことを思った。
お店がなくなるということは、この美味しいモーニングが食べられなくなること、このカウンターやテーブルや椅子がなくなるということ、この常連さんがここに集うことがなくなるということ、この店主にここで会えなくなるということであって、それはとてもとても大きい。
それはそうで、でも同時に、もっと目に見えない、バナナがこの切り方にたどり着くまでの経緯や、例えばオーダーを受けて取り掛かろうと言う時に店主たちの頭の中に浮かぶ手順とか、これを持って行ってついでにあれを下げてここを拭こうみたいな動き、それが日々積み重ねられ変化してきたこと、そしてこれからも変化していくこと、そういうこのお店に流れる血潮のようなものが見えなくなることなのだと思った。
もちろん、店主たちの中にはこれからもそれはあって、またこの場所に立てば、あまりにも当たり前のようにまた巡り出すのだと思う。でもやっぱりそれは、この場所があって、時間があって、そこに流れる血潮なのだとも思う。
たった今来たばかりのまるでにわかの客なのに、それがすっかり見えなくなってしまうことに勝手に思いが巡って、途方もなくさびしい気持ちになった。
それはあまりにもそう感じさせる素敵なお店だったのだから仕方のないことなのだけど、でもなんだか傲慢なことだなと思いながら、勝手に一口一口を惜しみながら食べた。
やっぱり傲慢だと思うので、ただひたすらに食べて、お金を払って、胸の内でだけ普通より深い感謝をしてお店を出て劇場へ向かった。
『光、一歩手前』の本番が終わって、ちょうど11月末までやっていた、国際芸術祭『あいち2025』を見て回った。
愛知芸術文化センターと、愛知県陶磁美術館、瀬戸市のまちなかの三箇所でやっていて、陶磁美術館以外の二箇所を見ることができた。
どれもすごく良くて、とくに瀬戸市のまちなかは、廃校や銭湯だった場所、鉱山、商店街のお店や旧旅館でそれぞれのアーティストのかたが展示していて、まちを巡りまちを知りながら見られたのがすごく良かった。
どの展示も、その場所の根っこにあるものや切実なものと、そのアーティストのかたの根っこにあるものや切実なものとが、深いところで共鳴してうまれているように見えて、そのことにとても打たれた。
誰かにとってとても狭く深く切実なものは、出会ったこともない通りすがりの私にも、なぜか共鳴するものだなと思った。
なんだかそれで、もう見えなくても、もうそこにはいなくても、共鳴するものがいる限り、息衝いていた血潮は、そこにある、んだなと思った。
☆
優しい劇団『光、一歩手前』の戯曲のデータでの販売が始まりました。
ゲストごとに台詞の異なる全13バージョンすべて、それぞれでもセットでもお買い求めいただけます。
1バージョンは500円、全バージョンセットは2000円。安い!
好きだったあの言葉、いつかのお守りになってくれる言葉、お手元に置いていてください。
公演をご覧になっていない方も、別バージョンの戯曲を読みたい方も、ぜひ。全部違うけれど、根っこがみんなつながっている言葉たちです。
尾﨑優人さんの戯曲には、その世界を一緒に描くためのおまじないのようなものが書かれています。
それは公演では決して発されない言葉で、戯曲にだけ書いてあるおまじないです。
たくさんの方に読んでいただけますように。

