遠くを見て
五月は毎週末どこか少し遠くに行っていた。
ずっと旅してたいでも働かなくちゃそれもできないというYUIの歌詞が頭を巡っていたけど、私はずっと旅はしてたいでも働くのも好きでよかったなあと思った。単純に好きな仕事にたどり着けたからだと思う。
平日調理場で働いて、週末旅をした(金曜日はひとり稽古もした)。
トンネルのこちらに海があり、トンネルの向こうに祭りがある。
父がくれたフリーきっぷで、ひとり、小田急線になんども揺られて、行けるだけ遠いほうへ行った。ただビール飲んで、少しの幸食べて帰った。
窓際のいか
窓際のコーヒー
コーヒーは、友達が滝に連れて行ってくれた時の。
まったく五月の緑よ。
自然には時々、不自然だと思うほどに目にまぶしい色がある。
すごい色の魚とか虫とかもそう。
自然を違和感のないもののことだと思わないほうがいいもんだなと、そういう時思う。
自然には時々、不自然だと思うほどに目にまぶしい色がある。
すごい色の魚とか虫とかもそう。
自然を違和感のないもののことだと思わないほうがいいもんだなと、そういう時思う。
滝や。ああ滝や。
あんまりに気持ちがよくて、あらゆる全てがどうでもいいことに思えた。
この一帯にいる間、私はなぜかずっと両腕を挙げていた。
熊に手を挙げろと脅されていたわけではないのだけど、できるだけ表面積を増やして空気に当たりたかったのか、自然に、ははあ!としていたのか。
はたまた、この自然の気持ちよさに対する興奮の熱を、脇から逃がさずにはいられなかったのか。
これは、川沿いのセルフフレンチに誘ってもらった時。忙しくて楽しかった。
これは、日比谷公園の維新派の屋台村に連れて行ってもらった時。モンゴルパン。
本当に美味しいいろんなもののあらゆる匂いが充満していた。
本当に美味しいいろんなもののあらゆる匂いが充満していた。
あと、なんか、底からくるいろんなもののあらゆるエネルギー。
いろんな人が、いろんな遠くに連れて行ってくれて、遠くを見せてくれた五月だった。
近くに好きな人が、ぽつらぽつらぽつらといることが、とても嬉しかった。
あとは最近、野菜が安くなってきて、スーパーに行くのが楽しみ。