熱情のあと



自分の持ちうるわずかなすべての知性をかなぐり捨てたいという熱情に駆られていた時があり、トムヤムクンラーメンばかりを食べていた。

トムヤムクンラーメンと知性が相反するものであるということではない。あらゆる細やかな味わいの品々を並べる色彩豊かな食卓を放棄し、酸味と辛味の刺激的なトムヤムクンラーメンの一皿で済むそれだけを毎日食べ続けることが、あの熱情に応えていただけである。

電車の中でも、興味があるかないかもわからないインスタグラムの動画を無音で指で繰り続けることばかりしており、読書を全くしなくなっていた。

トムヤムクンラーメンもインスタグラムも刺激過多なようだが、こういうもののほうがかえって刺激のない、ということもある。

刺激とは強さの問題ではないし、知性とは感受性のようなものなのかもしれない、と思った。



そんな熱情も時を経て静かにさめてきたころ、久しぶりに本を開いた。

川上弘美の文章は、ああ本当に読んでいて気持ちがいいなと思う。 

しかもうっとりとかそういう類の気持ちよさではない。水捌けの良い気持ちよさである。

気持ちがいいので、もうそこは読んだとかそんなこと関係なく、また同じ箇所を読んだりしている。

私はあまりこのような気持ちよさゆえに読む本を書く人を他に知らない。

久しぶりに読んだ川上弘美のタイトルは『おめでとう』で、この、道の先に峠や沼や思ったより転ぶ小石やただただ茫然と続く道があることを知りつつ各所にいる人々を描く短編たちをひとくくりにするときにつける言葉が『おめでとう』というのが、本当にいいなと思った。

小田原の小さな飲み屋でむつむつと生蛸を噛む人が出てきたので、小田原に来てみた。

ちょうど小田急線のフリーきっぷを持っていて、その果てだったこともある。

生蛸をむつむつは食べなかったが、ささやかで多彩なおかずがたくさんのった定食を食べた。

梅酢からあげと説明されていたからあげをむつむつと食べながら、梅酢の香りを探した。


もせる