大地とお日さま
東京都美術館に『大地に耳をすます気配と手触り』をみにいった。
自然に深く関わりながら制作をしている現代作家5人の展示だった。
5人それぞれに視座も発露もちがって、とても面白かった。
川村喜一さんの展示を見ながら、自分以外のあらゆるすべてを侮ってはいないかつねに懐疑的であること、もしくは、侮ってしまうことに自覚的であるかを問われているような気がした。
それは遡って、自分自身の生命やその営みを侮っていないかと言うことでもあるような気がした。
次の日は、映画『ぼくのお日さま』を観た。
ハンバートハンバートの『ぼくのお日さま』を主題歌に制作された映画で、制作が決まった時から観たいなあと思っていた。
そこにはきちんとそれぞれのエゴがエゴとして描かれていて、それでもそのエゴが、否応なくというか、いずれかの方向にというか、他者の人生を推し進めることが描かれているような気がした。
そう感じて、いいなと思った。
人と関わるとか、自分以外の何かと関わるとか、またもや遡って自分自身と生きていくということは、避け難くそういうことのような気がして
でもそれを、真っ向から自覚しながら生きていくということは、そう悪くないことだと思った。
自然に深く関わりながら制作をしている現代作家5人の展示だった。
5人それぞれに視座も発露もちがって、とても面白かった。
川村喜一さんの展示を見ながら、自分以外のあらゆるすべてを侮ってはいないかつねに懐疑的であること、もしくは、侮ってしまうことに自覚的であるかを問われているような気がした。
それは遡って、自分自身の生命やその営みを侮っていないかと言うことでもあるような気がした。
次の日は、映画『ぼくのお日さま』を観た。
ハンバートハンバートの『ぼくのお日さま』を主題歌に制作された映画で、制作が決まった時から観たいなあと思っていた。
そこにはきちんとそれぞれのエゴがエゴとして描かれていて、それでもそのエゴが、否応なくというか、いずれかの方向にというか、他者の人生を推し進めることが描かれているような気がした。
そう感じて、いいなと思った。
人と関わるとか、自分以外の何かと関わるとか、またもや遡って自分自身と生きていくということは、避け難くそういうことのような気がして
でもそれを、真っ向から自覚しながら生きていくということは、そう悪くないことだと思った。
表層的には優しい風合いかもしれないけれど、決して優しくはなく、山肌の険しさのようなあと味がハンバートハンバートの音楽に似ている気がした。