廿日市



関森絵美ちゃんの凱旋フェスをみに、広島・廿日市市へ行った。

朝劇広島以来の、広島。

絵美ちゃんのライブのMCによると、それはもう8年も前のことだそうだ。驚き。

ちんでんだなあ、とか、本通りだなあ、とか、ゆめタウンだなあ、とか、ひろぎんだなあ、とか、あれこれに再会するたび、あの時広島の人から教えてもらった、まちの、まちの人の呼び方を思い出した。

二日間のEMIフェスをみて、生きてる人が生きてる人にできる祭礼って、そうたくさんはないはずだよなあと思った。

絵美ちゃんはそれを、人生の途中で、地元で、地元の人へ、やっていた。

そのことを、とてもとても素晴らしいと思った。

シンプルで、だけど簡単ではないかけがえのなさを、歌に、日々の眼差しに込めてきた絵美ちゃんらしい出来事だ、とも思った。

そのお祭りのお神輿に、一緒に過ごして生まれた歌がのっていたことも、密やかに嬉しく、人生が交わることのとんでもなさに驚いたりもしていた。

絵美ちゃんの人生のありがとうのお祭りをみて、私も絵美ちゃんに、そして私の人生にありがとうを再度見つけた。



宮島へも行った。

絵美ちゃんと一緒に弥山に登りながら、アクターズのスターたちの話をたくさんして、大盛り上がりしたよなあとか、思い出した。

牡蠣を食べれば、絵美ちゃんのお母さんが作ってくれたカキフライや土手鍋が美味しかったことを思った。

私はこの旅で、そうか私は結構牡蠣が好きなんだなあと知ったつもりでいたのだけど、久々にお会いできた絵美ちゃんのお母さんに、「牡蠣大好きだもんねえ」と言われた。

きっとその味を知って、牡蠣を好きになったということだと思う。

また会えて、心から嬉しかった。
(牡蠣を好きな自分にも)

シンプルで簡単じゃないかけがえのなさだと思う。