秋の間

10月ですね。


おかげさまで無事に、うにくらげvol.2「à deux」が終演しました。

ご来場のかたがた、応援してくださったかたがたへ、ありがとうございました。 




演出を担当してほしいと、うにくらげのお二人からご連絡をいただいた時は、とても驚きました。

なぜ、この演出の経験などほぼない私を、演出として思い出してくれたのだろう?
そんな大切な機会に、たった一人しかいない演出を?

率直にとても嬉しかったのと、vol.1のときは観劇できなかったのですが、お知らせを見て、お寺でこの二人が演劇をするなんてとてもすてきな企画だと思っていたので、心が躍りました。

ちょうど、昨年末から今年の初めにかけては、青年団がやっている無隣館の、演出家と劇作家のためのコースを受講していました。 

その時は演出をやりたいと思っていたわけではないのですが、
役者として演劇に参加する中で、果たして演出の役割とはなんなのか?ということ
演出から見た役者の役割とはなんなのか?
今一度、それぞれの役割や領分を認識することで健やかに演劇をしたいなと思っていたのですね。 

それから、もっと根本的だったり体系的な、演劇や演劇周りの知識も欲しかった。 自分がどのベクトルの努力をできるのか知りたかった。
それで受講して、ほうほうなるほどな、と思っていたタイミングで、うにくらげのお二人からお声掛けいただいたのです。

やってみたいな、と思いました。

経験も知識もなく、勉強のような形になってしまうけれど、それでもよければとお二人にお伝えしたところ、快く受け入れてくださり、今回の参加が決まりました。 



やはり初めてのことで未熟で、それまで考えたり教わってきたことがどれだけ体現できたかはわかりませんが、


信じて委ねてくれたり、たくさん話をしてくれたり、一緒に悩み続けて下さったうにくらげのお二人に感謝が尽きませんし
稽古でずっと、お二人の一番初めの観客としてやりとりをみられたことは何よりの幸せでした。 

演出って指揮をとるものかと思っていたのですが、橋渡し的な感覚を目指す方が近いなぁというのが、今回の実感です。似てるけど、違う気がする。とても楽しかったです。




毎日、公演の場にいて、
宗清寺さんや、お客さん、うにくらげのお二人、制作チーム、虚構でも戯曲の中に紛れもなく生まれて存在している誰かの人生やそれぞれのリアリティ、秋雨とか鈴虫とか、幼稚園生の声とか、風鈴の音、本当にいろんなもの、
そのそれぞれの中にも脈々と折り重なってきたもの
その全部が偶然に、繊維のように折り重なって立ち上がっている何かを眺めていて

ああ、こんな時間や空間を眺めて生きていきたいな、と思いました。 

その一端になって、点、点、と、時間や空間を置いていけたら、その中にいる人たちを見ることができたら、わたしの人生はしあわせってもんだろうと、大仰なことまで思いもしました。 

とても大切な感覚をいただきました。

そのはじまりを作ってくれたうにくらげのお二人、空気をともに作り出してくださったお客さん、懐となってくれた宗清寺さん、まだまだ書ききれませんが、書ききれないことは個人的にお伝えすることにして、深く感謝いたします。

斬新な座席移動も、楽しんでくださってとても有り難かったです。

こんなふうに楽しもう、こんなふうに見てみようという、それぞれの心意気によって成り立ったことがいくつもあります。

ありがとうございました。 



おもえば、お寺で三日間も過ごさせてもらえるなんて、人生でそうはない経験です。

毎日、本堂の畳の上で、目を閉じて深く呼吸をして、そこにあるしずけさを、できるかぎりに染み込ませていました。

おかげで、何かとてもとても、しずまるものがありました。

このしずけさに耳をすませ続けて、はなさないように過ごしていきたいです。



そんなわけで昨日は、湖のそばの芝へ辿り着き、目を瞑っていたら1時間の午睡となりました。

そのあとも、温泉の寝湯で目を閉じていたら30分が過ぎていました。

半目の景色というのは、とても気持ちのよいものです。

どうぞ、気持ちのよい秋をお過ごしください。