この夏の風景
▲ちぎりごおり
ある日、牛丼をかきこみに、牛丼屋へ行った。
カウンターに座り、牛丼をかきこんでいると、女の子の2人組が入ってきた。
漏れ聞こえる話からするに、高校生のようだ。
おもいおもいの牛丼が目の前にやってくると、その片方の女の子が「わー!美味しそう!」と言って、牛丼の写真を撮った。
そして、「ねえBe Realしよ」と言って、もう一人の女の子を引き寄せる。
Be Realとは、私もよくわかっていないが、最近流行っているSNSの一つで、内カメラと外カメラが同時に稼働するものらしい。
おもいおもいの牛丼と、それを今から食べる二人をカメラで撮影する。
「え待って、口しか入ってないんだけど!!もっかいとろ」と言って、写真を撮り直す。
そして「うまー」と牛丼を食べ始めた。
私はそれを見ていて、ああ、牛丼屋って、こんなにエンジョイしてよいものか、と思った。
牛丼屋とは、急いで牛丼をかきこみに行く場所だとばかり思っていた。
でもその二人を見ていると、豊かに牛丼そのものも、その時間も味わっている。
思えば牛丼屋の牛丼って、あらゆる外食の中でも結構美味しいと感じている。
でも、急いで牛丼をかきこむ場所だとばかり思っているから「美味しいなあ…」と思っていることを素通りして、かきこむニーズに勝手にこたえて走り続けて店を出る。
牛丼屋に行く時って、私は一人だし、尚更そう。
またある日はこうだ。
カフェでモーニングを食べていた。
すると、レジの中にいるアルバイトの女の子二人が、手元は作業をしながら、なにやら小さく話している。
意中の人とのLINEのやりとりを見せてそれについて議論したり、「プール行く予定なんだけど〜」「え、デートじゃん!」と小さく盛り上がる。
私はまた、それを見ていて、ああ、アルバイトをエンジョイしている、と思った。
そんな人たちを見た夏だった。
感動したと言ったらいいのか、いいなあ!と思った。
「その時間にあてがわれた、あるべき過ごし方」のようなものがあるとしたら
それより以前に「目の前にいる相手との時間を重んじている」ことを、すごくいいなあと思った。
豊かだ、と思った。
その豊かさは、自分のこれまでを振り返った後ろにあるものでなく、前にあるものだなあとも、思った。