何故が廻る

六月のある日

改札の前で、大勢の人が改札に進まず、電光掲示板を見ながら溜まっている。

あら、電車が止まっているのかしらと、私も電光掲示板を見てみるけれど、何にも書いていないし次の電車は時間通りである。

おや?と思い、溜まっている人たちを見ると、カメラを構えている人もいる。

よくわからないが、恐る恐る改札を通り抜けホームへ向かうと、修学旅行帰りの小学生と思しき人たちが、列をなして電車から降りてきた。

なるほど、お迎えの家族たちだったのか。

この頃は、誰かが誰かを、言わば「愛して」いるのを見かけてしまった時、「私がその証人の一人になるぜ!!!」と、何故か意気込んでしまう。


-----

引っ張り出してきた六月の記録でしたが、この一週間は今日の日付を書こうとすると何故かどうしても「5月」と書いてしまいます、何故。

私はいったいどこにいるのでしょうか。

何かに集中している時ってこういう現象がよくあって、そうですね、今週末は紙芝居です。

今回もまた、何故こんなことを始めちまったんだろうと何度も思いながら、ちぎり絵をちぎりにちぎってます。

まあでも毎度思うのは、輪郭を描いてから中を埋めるんじゃなくて
実を詰めてったら輪郭ができてた、みたいなことが好きで、だからちぎり絵なんだよな。


実家から発掘されし七五三の写真を添えて。

眉毛の生え方が変わらなさすぎる。