順番待ち
木にいだかれているカタバミ。
想像してみよう。
こころみたいなものが、そうだな、おへそあたりにあったとして、そこから喉元までうにうにと管のように繋がっているとして
そのうにうにの中に、言葉のようなものが粒々と入っているのだけど
どうにもその粒々の順番は入れ替わることがなくて、喉元に出ないものがあるとつっかえたままで、そのあとに続く粒々も全て出てこない
そんなかんじ。
昔からそんなかんじが、よくする。
最近は一層する。
融通の利かないうにうにを持っている。
母はわたしが子供のとき、言葉につまっているのを見て「胸がいっぱいなんだね」と言った。
私はそのとき、「そうか、これが胸がいっぱいかあ」と、身体の感覚に言葉が結びつく感じがした。
そんなふうにして結びつけてもらったから、身体の外に連れ出された言葉がたくさんある。
だけどその現象が言葉になったとしても、言葉が出ないものは出ないのである。
という言葉を書くことでしか、うにうにを、ぜんどう運動させることができないこともあるのである。
きれいだったもの。
想像してみよう。
こころみたいなものが、そうだな、おへそあたりにあったとして、そこから喉元までうにうにと管のように繋がっているとして
そのうにうにの中に、言葉のようなものが粒々と入っているのだけど
どうにもその粒々の順番は入れ替わることがなくて、喉元に出ないものがあるとつっかえたままで、そのあとに続く粒々も全て出てこない
そんなかんじ。
昔からそんなかんじが、よくする。
最近は一層する。
融通の利かないうにうにを持っている。
母はわたしが子供のとき、言葉につまっているのを見て「胸がいっぱいなんだね」と言った。
私はそのとき、「そうか、これが胸がいっぱいかあ」と、身体の感覚に言葉が結びつく感じがした。
そんなふうにして結びつけてもらったから、身体の外に連れ出された言葉がたくさんある。
だけどその現象が言葉になったとしても、言葉が出ないものは出ないのである。
という言葉を書くことでしか、うにうにを、ぜんどう運動させることができないこともあるのである。
じゃあ書かなければ良いのだけど、うにうにのぜんどう運動は日々を繰るのには欠かせないでしょ、なのである。
そんなことを言っているけど元気なのは元気です。
順番待ちをしているだけなんです。