なだらかに

 一生懸命生きてたら、5月も末になっておりました。

先週末に、Stage Reading『A Bright New Boise』が全公演終了しました。

ご来場、ご声援、誠にありがとうございました。


クアトロキャストで、出演する日程も飛び飛びだったものですから
初日に出演してから、二度目の出演は一週間近く経ったのちでした。

読書をするときも、複数の本を並行して、ゆっくり、間をおいて読むのが好きなのですが
今回の公演も、間をおいて声に出して読むことで、その間に過ごして無意識の中で考えていたことや感じていたことも含まれていったような気がして、とても面白かったです。


稽古の段階から、常にとても建設的で健康的な場所にいると感じていました。

リーディングの形式ということもあり、今回は、「これから戯曲を読む人間」として舞台上にあがって過ごすところから始まり、「役として」戯曲を読み、読んでいない間も舞台上で過ごす形をとっていました。

さわやかで健やかな稽古場から舞台上へ、戯曲を演じていない私から演じている私へ
なだらかなスロープを登るように、そして行ったり来たりするように
公演の時間を過ごしていました。

そんなふうに、なだらかに行ったり来たりできることに、また、なだらかに行ったり来たりしても面白くて良い作品は作れるのだという実感に、喜びと自信を得た公演でした。





5つの役を、各4人の俳優が、計20名で演じました。

稽古の際には、本番では一緒にならないかたとも、セリフを交わしたりもしました。

稽古の初めに演出の下平さんが示してくれた大きな道筋を全員がしっかり掴もうと稽古していることもあって、全員がそれぞれにその役で

だけど、それぞれに全く違うのが、いつもとても面白かったです。

核となる部分は同じなのに、強く感じられる側面が違うような、
演じるそれぞれの人の持っていらっしゃるものが、その役の魅力をぽっぽっとひらいていらっしゃるのをみるのが、なんとも言えずしあわせでした。

きっとそれは、人間そのものの肯定にもつながっていて、だからしあわせだったのだと思います。


どうしたら健やかに演劇と過ごせるのだろう、演劇を作れるのだろうといつも考えます。

今回、クアトロキャストで、かけがえのない良い可能性が数多あることを知った時、
「一人一人の存在はかけがえのないものである」ことと、「一人一人の役割は代替可能である」ことは、当然同居するのだと、実感を持って知ることができました。

きっとそのあたたかくもつめたくもない事実は、演劇のある場所を健やかにしてくれると思っています。

演劇を作る時、そういう当然の土台にいつも立っていたいと思いましたし
演劇となだらかに行き来するその他の時間にあっても、よく実感していたいなあと思いました。

かけがえのなさと、かけがえのない可能性が数多あることは
『A Bright New Boise』の戯曲のなかでの問いに対しても、けっこうよい回答のひとつなんじゃないかなあと、私は、思っています。


演劇をやりながらよく生きたいと思うその道程に、この公演があってよかったです。

これからも、そこに集うすべてのひとと軽やかな敬意を交わし合って、演劇をしていきたいです。

ありがとうございました。

また、楽しい場所でお会いしましょうね。