芯
皮付きで丸ごと作りたいあまりに、ちいちゃい、新じゃがの時ばかりを狙って作る肉じゃが。
このたびは、男爵いもで作ったら、冬の肉じゃがだなぁという味わいでとてもよかった。
かぼちゃではない芋を煮てしまった今年の冬至は、ゆずご飯を炊くことにした。
のだけれど、水の量を間違えて、家に来てくれた友だちにべちょべちょの香り高いごはんを食べさせるはめになった。
翌日、早炊きで炊いたらパサパサに仕上がったご飯と、12時間保温からの冷凍で適度なべちょ具合になったゆずご飯を混ぜたら、ちょうどの水分量になった。
時さえ経てば帳尻は合うのだという教えを強引に得た。ありがたや。ありがたや。
クリスマスには、育てていた大根を引っこ抜き
地面に隠れていた白いひげが顔を出してメリークリスマス。
お節にさせていただこうと包丁握ってる、アンドアハッピーニュイヤー、でございます。
去年の暮れは、黒豆が煮えるのを三日見守りながら
「そうだそうだ、待つしかないのだった」と思い出していたけれど
今年は一年通してずっと、黒豆を見守る気持ちがあったようで
あまり待っている気すらしないままに黒豆が煮えた。
特に進歩したわけでもなく、周囲に待ってくれる人がいたことを、ただ認識したのだと思う。
そんなわけで、今年は原初に帰ってラブでした。
え、そうなんですか、ラブは原初なんですか。どうなんですか。
すくなくとも、そうあれとなんだか多分願っています。
お風呂に入って温まった時に、芯がほぐれて、ここに芯があったのか!と感じる時みたいに
真ん中にあった、静かなところを思い出しています。
その静けさの堀の中で、あらゆる今すぐにはどうにもならないことがじんわりじんわり変わったり変わらなかったりするのを
静かにだったり、騒がしく歌って踊ったりしながら
待っている気すらしないままに待ってみたいなと思っています。
そんなことをうるさくなく言ってしまえばラブなんです。
今年も一年ありがとうございました。
良い年の瀬になりますことをコトコト祈ってます。