かまわず
ある日、2年ほど大切にひょろ長くなるのを見守っている家のやなぎの、葉がカリカリに枯れていた。
枯れていた、などと言っているけれど理由は明白で、
そうです、この私が、水をやっていなかったのです。
なにに集中して、どこにいたのかわからないけれど
家の草たちに 水をやる、たったそのことをやれずじまいでいる週間があり
当たり前のように、葉はカリカリに枯れ落ち
その姿を見て、ああ…とどうにもならない悲しみと、なぜたったそれだけのことができなかったのでしょうという自分への失望にいっぱいになった。
枯れてしまったものは戻らないと知りつつも、今できるのは水をやることだけだと、懺悔の気持ちをすべて込めた水やりを精一杯した。
あとはもう、2年間の勇敢なひょろ長っぷりを信頼し、私なんかの怠慢にその勇敢さは負けるはずがないのだと信じるしかない。
信頼と無責任は紙一重である。