うど

住む家を決めるときの内見みたいな感覚で、いろんな街頭演説をみにいく。

家と人はちがうんだけど、まあ、住む場所のことではあるかもね。

直接見ることの意味を以前は、人となりがわかるから、と思っていたけど

それもそうかもしれないけど、
たったそのことで人となりがわかられちゃ、わたしならいやかもなぁ、とも思う。 

わかるっちゃわかるけど、わかんないっちゃわかんない。

わたしってそんな、確かじゃない。

それよりも、ただ写真と文字をみていても、全然現実感が湧かなくて、ただただ選ぶということができない。

現実に話したり動いたりしている人の姿を見て、投票することが自分の中で三次元に立ち上がることに、意味があるんだなあと気がついた。

現実のこととして認識できると、ようやく、選ぶということができるようになる。

その意味で内見に近いなあと思う。

足を運んでようやく、そこから始まる暮らしを想像するに至る。

今回もやっと、その次元に立てて、ちょっと落ち着いたのでうどを買って帰った。

うどの梅和え。

おいしくて一本分食べた。


ただただ会話が連なって、会話が重なって、生活が巡ればよいなと思う。

今日はその断片を感じた。