灯す

手持ちの靴下を、全部、いい靴下にする計画が進んでいる。

いい靴下っていうのは、
3足1000円とかでない、1足1500円以上とかの、靴下。

値段がすべてじゃないけど、値段を出すのは大事である。

靴下は消耗品だと思っていた。

消耗品に、そんなにお金を出すのはなあ、と、消耗するための靴下を買って過ごしていた。

しかし、時々買ってみる、いい靴下を履いてみると、履き心地も見た目も、たしかに、いい。

そして存外、消耗しない。

長く履いても、破けることもへたることもそうそうない。 

靴下は消耗品じゃない。衣類だった。

そうして、これはいいぞと、いい靴下の割合が増えていくと、そんなにいくない靴下を履いている時の心地が気になってきた。

今日はそんなにいくない靴下を履いているなあ、と思うたび、
裾からひょっこりいくない靴下が覗くたび、

足元から隙間風のように、自信がもれていくのである。

星野源さんが「希望がないと不便だよな」と歌っているが、自信がないのも不便なものだ。

こんなささやかなことで自信がもれていくくらいなら、足元をあたためてやったほうがいい。

そう思い、全部、いい靴下にする計画がはじまった。



書いてみてやっぱり思ったけれど、いい靴下っていうのは、値段のことじゃないんだと思う。

ただ、安いから買ったわけじゃない
消耗するために買ったわけじゃない

何かしら、心の通った靴下のことなのかもしれない。

高価なもので全身を固めて、鎧のようにしたいわけじゃないけれど

全身に血が通うように纏うものを選べると、不便でなくなる気がする。 






白木蓮が咲き始めた。

ぽくぽくと、燭台に火が灯るようだな。