すみずみまでよく生きる

その日、帰りの電車、駅のホームで
「今日もすみずみまでよく生きた!」
と思った。

「すみずみまでよく生きた」という感覚は
「隙間なくスケジュールを埋めて達成する」というのとは違うらしい。 

ゆっくりコーヒーを飲んだり、働いたり、あくせくしたり、疲れてぼーっとしたり、本の続きを読んだり、友達と未来の仕事や人生の展望を話したり、ちょっと早歩きしてみたり、歴史の勉強をしてみたり、外の空気のおいしさを味わってみたり、家に帰ったら眠すぎて寝落ちしてみたり

多様で豊穣な時間を過ごすような
頭と身体と心のすみずみまで動かして終える一日のような

良いとか悪いとかじゃない、そんな日のことみたい。

そんな日ができるだけ多くあればいいなと思う。

他人に伝わることでなくとも、自分のうちで。 




今晩はささやかタイパーティー。

タイのトムヤムフォーに、タイのシンハービール、酢の物は和風でビンゴならず。

でもほら、タイスキのうえにはかっこいい飾り切りのにんじんがのってるじゃない、あのイメージで。

絶賛練習中の桜の飾り切り。

桜を生み出すための桜以外の部分と、失敗して桜になれなかったものたちは

これまた絶賛練習中の、キャロットケーキになった。 
(ついに理想にたどり着く)

皮も余すことなくすりおろしたり、刻んだりする。

全部使う。


一物全体という言葉は最近知った。

丸ごと全部でバランスが取られている、みたいなこと。

すみずみまで生きるって、そういうことかも。