チューリップの真ん中

嘘みたいなほんとのチューリップの真ん中。



友人であり尊敬する人、関森絵美ちゃんの4年ぶりのライブを吉祥寺スターパインズカフェに観に行った。

絵美ちゃんの作る曲の歌詞は、とても平易な言葉を重ねて綴られていて、

しかしその平易さで歌うことにたどり着くまでの、彼女の深い思慮や感情を感じられて、

誰かから借りてきた言葉ではなく、実感を通した言葉であるのが、すごいなぁと思っていた。

4年ぶりにライブハウスで彼女の歌を聴いて

その平易で当たり前の言葉の重なりが、あまりにも芯をついて響いて、ちょっと困った。

それは、この4年の間に、絵美ちゃんが変わらない核心を深め続けてきたことが、わたしを深く打ったのもあるだろうし

この4年の間に、あまりにも世の中が平易で当たり前でなくなったのもあると思う。

でも、そうなるずっと前から、絵美ちゃんという人は、そのかけがえのなさを真に見つめ続けて、書き留め続けて、歌い続けてきたんだなと

よくよく、わかった。

今日1日のことを振り返ったって、まともに受け止めたら窒息してしまいそうなくらい、
眩しい砂粒で埋め尽くされているような、しかしなんのタイトルもつかない瞬間は幾度もあって

でもまともに受け止めたら窒息してしまうから、当たり前のようにやり過ごしてるんだと思う。

そういうことを、まともに受け止めてみる時間が、絵美ちゃんの歌の中にはあって

ちょっと困っちゃった。

たぶんこの先何年経っても、絵美ちゃんの歌はその核心を、絵美ちゃんが生きてるかぎり深め続けていくんだと思うし

その先も、時代が勝手に深めてくれるんだと思う。



これは個人的な話ですが

わたしのお葬式には、絵美ちゃんが書いてくれた『旅の朝』という曲と
わたしの歌詞に絵美ちゃんが曲をつけてくれた『いつものいつか』という曲をかけてね。

生きてる間に、そんな曲が生まれるなんて、
それだけで生きててよかった感が満々だからね。

満々なので、まだまだまだまだしぶとく生きるんですけれど。