おそろし山

おもえば一年間、朝食は飽くことなく、納豆ご飯と味噌汁だった。

幾度食べても、ああ、おいしい、と思う。

思うだけでなく、わざわざ声に出してひとりごちることもある。

からだがわかっているおいしさを
脳みそにもわかっていただいたほうがいいんじゃないかしらと思い

声に出して脳に聞かせる。

時々わからなくなってくると、やたらに辛いものやお菓子を食べたがる。

そういう時、無理矢理にでも味噌汁を飲むと
ごめんごめん、これでした
と内臓に無言で教えられ、反省する。

刺激などなくても、感ずることができる。

他人のも、自分のも、その感覚をみくびってはいけないなあと思う。

みくびらないために、からだによく耳をすませなくちゃいけないなあと、思う。

だけど自分のに耳をすませすぎると、他人のに鈍感になることもあるからおそろしい。

そしてこういうことを言葉にしないとわからなくなるときがある一方で

言葉にし続けると、いずれその言葉がサプリメントのようになって

これ飲んどきゃビタミンはとれてるし、と、また何かをみくびる。 

と、いうことを、今ここに書くことによってちょっともうサプリメント化ははじまってる。

おそろしいおそろしい。

この世はおそろし山よ。

だから毎朝、忘れた気持ちで、納豆ごはんと味噌汁を食べるのよ。

寝起きに冷えた胃は、毎朝じんわりあたたまることを、

ちょっとおバカなんじゃないかと思うくらい新鮮に、そしてなんと賢いのかと思うくらい確かに、教えてくれるのよ。